
今月のスポットライトは、ジャニーズの男性アイドルグループとして80年代後半に一世を風靡した光GENJIの「ガラスの十代」を取り上げます。



光GENJIは、内海光司、大沢樹生、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓の7人で1987年に結成された。年長組の内海と大沢による「光」と、他5人による「GENJI」、2つのユニットが合体する形で誕生。87年8月19日、チャゲ&飛鳥が作詞・作曲を手がけた「STAR LIGHT」でデビューする。
彼らの最大の特徴は何と言っても、ローラースケートを履いてのパフォーマンスだった。ステージ上を高速で縦横無尽に駆け回り、ローラーを履いたままジャンプやスピンをし、バック転を決める。高い身体能力が可能にするアクロバティックな動きは衝撃的だった。
そもそも「STAR LIGHT」は、この年に日本公演が行われたロンドン発のミュージカル「スターライト・エクスプレス」のテーマソングだった。同公演は、世界中の特急列車を擬人化したキャラクターが登場し、出演者は皆ローラースケートでパフォーマンスする。その公演のPRこそが光GENJIに与えられた役割であり、彼らもローラースケートをマスターする必要があったのである。4月から始まったローラースケートの猛練習は3ヶ月以上にも及んだという。
87年9月3日、「STAR LIGHT」が4位にランクインし、光GENJIはザ・ベストテンに初出演。2週目には早くも1位を獲得し、6週連続で1位をキープするなど、破竹の勢いでトップアイドルの座へ駆け上がった。10月1日、この番組の500回記念回として仙台市の勾当台公園から「ザ・ベストテンIN仙台」を公開生放送した時の1位も「STAR LIGHT」。いわゆるジャニーズJr.の後輩たちも大勢参加し、あちこちでバック転が連発される、豪華でアクロバティックなステージが展開された。
ジャニーズのグループとしては既にシブがき隊、少年隊がいてベストテンを賑わせていたが、光GENJIの登場はファンの年齢層をさらに低くし、小学生まで取り込んだことで、番組をさらに盛り上げていった。デビュー当時、最年少のメンバーは中学2年の14歳。労働基準法にふれるため夜8時以降はテレビに生出演できず、歌唱部分を事前に収録したVTRが流れることもあった。しかし、7人揃ってザ・ベストテンに生出演したこともあり、必ずしも厳密ではなかったようだ。
2nd「ガラスの十代」は、飛鳥涼が作詞・作曲。繊細で壊れやすい10代の内面を描いた歌詞は光GENJIにピッタリで、広く共感を呼ぶ。ザ・ベストテンには12月10日に2位で初登場。この時、歌の途中で衣装を脱ぎ、ローラースケートも脱ぎ、最後はジーンズの短パンのみという姿で歌い踊った。間近で見ていた黒柳徹子は、本気で照れながら「私、本当に恥ずかしくて見られませんでした。ずっとこうやって(目を手で覆って)いたんですのよ」と発言。成長期真っ只中の10代の男の子たちが大胆に肌を露出して歌っていたのだから無理もない。脱ぐのは毎回ではなかったとはいえ、屋内のスタジオならまだしも、同曲がヒットしていた冬の時期、屋外で服を脱ぐことも。88年1月14日にTBS敷地内の屋外特設ステージで歌唱した際には、人工雪を敷き詰めた地面に立ち、上半身裸&短パン&裸足という、明らかに風邪を引きそうな状況で歌っていた。
ローラースケートで歌うがゆえに、当時は歌唱中に転ぶことも珍しくなく、それでもすぐに立ち上がって歌う姿は健気だった。またメンバーがケガを押して包帯姿で出演することも。そんな彼らに、ファンはさらに声援を送ったのだった。「ガラスの十代」は、年をまたいで2月11日まで8週連続1位という記録を達成する。
88年3月に発売された3rd「パラダイス銀河」は明るい曲調で、彼らにとって最大のヒットに。この年の「第30回日本レコード大賞」で大賞を受賞したのをはじめ、ザ・ベストテンの年間ランキングでは「パラダイス銀河」が2位、「ガラスの十代」が8位に。さらに紅白歌合戦に初出場し、それまでのヒット曲をメドレーで披露。幅広い世代に愛された彼らは、88年を代表するアイドルグループとなった。
その後、94年にメンバーの脱退を機に5人編成となり「光GENJI SUPER5」となるも、95年に解散。彼らの後輩にあたるジャニーズのアイドルグループが、活躍の場を広げ、息の長い活動をしているのと比べれば、光GENJIの活動期間はやや短かったようにも見える。しかしその人気は間違いなく社会現象レベルであった。美しく短い青春を燃やし尽くすかのように輝いて解散した彼らは、それゆえに伝説になったとも言える。