言葉の達人

SAKUSHIKA

 達人たちは1曲の詞を書くために、言葉を巧みに操り、その時代を象徴する言葉を探した。その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、その歌は大ヒットした。
「孤独がつらく感じるとき」、「愛することがよくわからなくなったとき」いつも、勇気と力を与えてくれた…、作詞家は言葉の魔術師である。そんなプロの「作詞家」の皆さんをゲストにお招きして、毎月、紹介していくこのコーナー。
今回は、「三百六十五歩のマーチ」をはじめ、数多くのヒット曲を世に送り出し、現在は、日本作詩家協会会長を務め、音楽の普及・発展にご尽力されている「星野哲郎」さんをゲストにお迎え致しました。

星野哲郎


撮影:荒牧万佐行

代表作

黄色いさくらんぼ」/スリー・キャッツ
三百六十五歩のマーチ」/水前寺清子
恋は神代の昔から」/畠山みどり
男はつらいよ」/渥美清
アンコ椿は恋の花」/都はるみ
昔の名前で出ています」/小林旭
みだれ髪」/美空ひばり
風雪ながれ旅」/北島三郎
兄弟船」/鳥羽一郎
女の港」/大月みやこ
雪椿」/小林幸子
その他、多数。

作詞論

四行で書けることを
五行に書くな
五行で書けることを
六行にするな
これが演歌を書く基本であり
自分へのいましめである

朗読詩集「いろはにそらしど」〜いましめ〜より

星野さんに伺いました。
Q:
作詞家になったきっかけは?
A:
商船学校を卒業し、憧れの船乗りになりましたが病気のため下船。闘病生活中の昭和27年『コロムビア府県対抗歌謡コンクール』に懸賞応募した作品が、石本美由起先生の補作により、翌28年レコード化されたのがきっかけです。
Q:
プロ、初作品について
A:
昭和28年「チャイナの波止場」/若山彰・コロムビアローズ。
Q:
作品を提供したいアーティスト
A:
注文を頂いた歌手に書くのが「プロ」だと思っています。
Q:
あまり売れなかったが、私の好きなこの歌
A:
売れなかったが好きというよりは、売れなかった作品ほど愛着が湧きます。
Q:
なぜ「詩を書くことを選んだか」
A:
寝たきりの闘病生活中「頭脳と手を使って生きる方法はないか」と考え、少年時代に受験雑誌に短歌・俳句・詩なと投稿し、賞金を貰ったことを思いだし、投稿マニアから、懸賞作家、そしてプロへと進みました。
Q:
プロの作詞家になりたい人へのアドバイスを
A:
頭の二行で勝負すること。あきらめないこと。
歌詞を見る 三百六十五歩のマーチ 水前寺清子

曲が出来た時「着流しで歌っている私が、マーチなんて」と言っていたチータですが、第41回選抜高校野球の入場行進曲に選ばれました。この曲が人生の応援歌「援歌」の原点です。

■私の好きなあのフレーズ
「しあわせは歩いてこない だから歩いてゆくんだね」

PROFILE

星野哲郎(作詞家)

本名 有近哲郎
大正14年 山口県大島郡東和町(現 周防大島町)生まれ。
昭和21年 高等商船学校(現 東京海洋大学)機関科卒業。
その後、遠洋漁業の乗組員となるが大病を患って船を下り、約4年間の闘病生活を送る。
昭和28年 雑誌の懸賞に応募した詞が入選し作詞家としてデビュー。
日本コロムビア、日本クラウンの専属作家を経て昭和58年フリーとなり、
これまでに創作した作品は4,000を超え、数々のヒット作を世に送り出している。
現在、(社)日本作詩家協会会長を務める。

賞罰
昭和46年 運輸大臣より海事功労賞
昭和60年 運輸大臣より交通文化賞
昭和61年 紫綬褒章
平成11年 第50回日本放送協会放送文化賞
平成12年 勲三等瑞宝章

[CDリリース情報]

「不滅の名曲〜オリジナル歌手による〜星野哲郎作品集」

CRCN-45749 ¥2,800(tax in)
2007.03.07 Release

■近況報告
・2008年4月1日朗読詩集「いろはにそらしど」が(定価¥2,500-)が発売されます。
 お問い合わせは、 03-6823-9302 ユーズミュージック演歌歌謡曲事業部 迄
・2007年7月、故郷の周防大島に記念館がオープンしました。
■星野哲郎記念館

【これまで登場した作詞家さん】バックナンバー