2011年3月16日発売
二千二十年の一回目は、新年にピッタリのレキシを取り上げるでござる。なぜレキシは新年にピッタリかと申すと、年末年始の様々な行事は、伝統に則ったものが多く、ふと我々は、祖先に思いを馳せるからでござる。でも、そもそも今は、年間を通じて歴史ブームでござるなぁ。若い女性が戦国武将を身近に感じ、それぞれの“推し”にまつわるグッズを身につけたりもしておるし、もしやそれは、今回の主役、レキシがブームの先駆けだったと申しても、おのおの方からさしたる謀叛も起こらぬであろう。
怪しくなってきたので、ここからは普通に書きます(笑)。ご存じない方のために、改めて紹介すると、レキシは才能あふれるキーボード奏者であり、音楽プロデューサーであり、俳優としても活躍し、アフロヘアーがお似合いの、池田貴史の音楽プロジェクトである。その際、ステージや歌詞の世界観などにおいて、日本の歴史からお題拝借するのが、このプロジェクトのコンセプトとなっている。
“歴史”は“レキシ”となり極上のファンク・ミュージックになった
彼はSUPER BUTTER DOGという、多くの音楽好きから支持されたバンドに在籍していた。当時のイメージ的には邦というより洋だった。しかし、そもそも歴史に造詣の深い人物であり、そんな個人のスキルを全面に押し出すことで、レキシは2007年にスタートしている。なお、“歴史”は普通“レキシ”と片仮名表記はしないものだが、そうすることで、何やら和洋折衷な雰囲気が醸しだされる。それ即ち、彼がやっている音楽そのものでもある。
こんなコンセプトのヒトは居なかったし、大いに目立った(しいて挙げるなら、1990年に、森高千里が発表した『古今東西』というアルバムが、時代劇をコンセプトにポップを展開していた)。キワモノっぽく受け取られる危険性も充分あったが、たとえ第一遭遇がそうであっても、やがてもっと深いところで理解してくれるだろうという自信が、彼にはあったのだろう。
シバリを効かせたことで、彼が得た自由とは?
実は我々も、心の底ではこうしたシバリを歓迎したのだ。音楽で自由を目指すと言っても、曖昧なものになりやすいし、型に陥りやすい。それよりむしろ、歴史にまつわるシバリを効かせたほうが、今、この瞬間に伝えるべきことを(いったんは間接的になりつつも)結果的にはリアルに伝え易くもなる。
「僕の印籠知りませんか?」という、大切な印籠を紛失してしまった主人公の歌がある。これなどは、スマホに依存しすぎている現代社会への警鐘としても聞けるのだ。
彼がずっとお得意なのは、10秒聴けば腰が動いてしまう極上のファンク・ミュージックである。でもこうした音楽は、歌詞に重きを置きすぎると頭でっかちになり、むしろ聴く者の腰を重くする。とはいえまったく無意味では、言葉の無駄遣いが耳に余る。このあたりが難しい。レキシはその点、音楽における言葉の役割である、イミとノリの上手な折衷を実現させる(もちろん、韻を踏んだりといったテクニックも駆使しつつ…)。
平和を願う(?)「きらきら武士」
ここからは、代表曲のひとつといえる「きらきら武士」について書いていこう。改めて歌詞を眺めてみると、ゲスト・ボーカルとして招かれているDeyonna(椎名林檎)が、主人公に対して[マゲ結うの待って]と歌いかけている場面がある。ここは重要だ。
マゲというのはそもそも、合戦に際して兜を被る時、頭がムレない工夫として生まれたものとされる。となると、それを[待って]ということは、御台所(または、お姫様?)とおぼしき女性は、好きな相手に戦いを望まず、このまま私を城の外へ連れ出し、平穏に暮らすことを望んでいると推測できる。この歌は、つまり平和を願う作品なのである。
“武士”はやがて“ブーツィー”に
もうひとつ。最後まで聴くと、“武士”がある言葉に変化し、終わっていることが確認できる。[ブーツィー]だ。これは人名で、オハイオ州出身のベーシストでボーカリストのウィリアム“ブーツィー” コリンズのことである。[メガネが星]というのは、このアーティストのトレードマークが星型のサングラスであることから来ている。でもその星は、レキシ・コンセプトにあてはめれば手裏剣にも似ていて、[武士=ブーツィー]、[手裏剣=星型のサングラス]というあたりが、この歌のアイデアの源とも想像できる。
なお、彼の作品は戦国時代や江戸時代が中心と思いきや、「狩りから稲作へ feat. 足軽先生・東インド貿易会社マン」のような、ホモサピエンスの約1万年前の営みにも目配せした、悠久のロマンあふれる作品もある。
怪しくなってきたので、ここからは普通に書きます(笑)。ご存じない方のために、改めて紹介すると、レキシは才能あふれるキーボード奏者であり、音楽プロデューサーであり、俳優としても活躍し、アフロヘアーがお似合いの、池田貴史の音楽プロジェクトである。その際、ステージや歌詞の世界観などにおいて、日本の歴史からお題拝借するのが、このプロジェクトのコンセプトとなっている。
“歴史”は“レキシ”となり極上のファンク・ミュージックになった
彼はSUPER BUTTER DOGという、多くの音楽好きから支持されたバンドに在籍していた。当時のイメージ的には邦というより洋だった。しかし、そもそも歴史に造詣の深い人物であり、そんな個人のスキルを全面に押し出すことで、レキシは2007年にスタートしている。なお、“歴史”は普通“レキシ”と片仮名表記はしないものだが、そうすることで、何やら和洋折衷な雰囲気が醸しだされる。それ即ち、彼がやっている音楽そのものでもある。
こんなコンセプトのヒトは居なかったし、大いに目立った(しいて挙げるなら、1990年に、森高千里が発表した『古今東西』というアルバムが、時代劇をコンセプトにポップを展開していた)。キワモノっぽく受け取られる危険性も充分あったが、たとえ第一遭遇がそうであっても、やがてもっと深いところで理解してくれるだろうという自信が、彼にはあったのだろう。
シバリを効かせたことで、彼が得た自由とは?
実は我々も、心の底ではこうしたシバリを歓迎したのだ。音楽で自由を目指すと言っても、曖昧なものになりやすいし、型に陥りやすい。それよりむしろ、歴史にまつわるシバリを効かせたほうが、今、この瞬間に伝えるべきことを(いったんは間接的になりつつも)結果的にはリアルに伝え易くもなる。
「僕の印籠知りませんか?」という、大切な印籠を紛失してしまった主人公の歌がある。これなどは、スマホに依存しすぎている現代社会への警鐘としても聞けるのだ。
彼がずっとお得意なのは、10秒聴けば腰が動いてしまう極上のファンク・ミュージックである。でもこうした音楽は、歌詞に重きを置きすぎると頭でっかちになり、むしろ聴く者の腰を重くする。とはいえまったく無意味では、言葉の無駄遣いが耳に余る。このあたりが難しい。レキシはその点、音楽における言葉の役割である、イミとノリの上手な折衷を実現させる(もちろん、韻を踏んだりといったテクニックも駆使しつつ…)。
平和を願う(?)「きらきら武士」
ここからは、代表曲のひとつといえる「きらきら武士」について書いていこう。改めて歌詞を眺めてみると、ゲスト・ボーカルとして招かれているDeyonna(椎名林檎)が、主人公に対して[マゲ結うの待って]と歌いかけている場面がある。ここは重要だ。
マゲというのはそもそも、合戦に際して兜を被る時、頭がムレない工夫として生まれたものとされる。となると、それを[待って]ということは、御台所(または、お姫様?)とおぼしき女性は、好きな相手に戦いを望まず、このまま私を城の外へ連れ出し、平穏に暮らすことを望んでいると推測できる。この歌は、つまり平和を願う作品なのである。
“武士”はやがて“ブーツィー”に
もうひとつ。最後まで聴くと、“武士”がある言葉に変化し、終わっていることが確認できる。[ブーツィー]だ。これは人名で、オハイオ州出身のベーシストでボーカリストのウィリアム“ブーツィー” コリンズのことである。[メガネが星]というのは、このアーティストのトレードマークが星型のサングラスであることから来ている。でもその星は、レキシ・コンセプトにあてはめれば手裏剣にも似ていて、[武士=ブーツィー]、[手裏剣=星型のサングラス]というあたりが、この歌のアイデアの源とも想像できる。
なお、彼の作品は戦国時代や江戸時代が中心と思いきや、「狩りから稲作へ feat. 足軽先生・東インド貿易会社マン」のような、ホモサピエンスの約1万年前の営みにも目配せした、悠久のロマンあふれる作品もある。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
2020年も宜しくお願いいたします。このコラムは広く読んでいただけているようで、お会いした人に、そう言って頂けることも多いです。でも、最近の音楽ファンは一組のアーティストを熱烈支持している方も多いようで、「○○○○○を取り上げていただいてありがとうございました、と、お伝えください」と、そんな伝言を受けたこともありました。なんでもその方の友人が、可能な限り、大好きなアーティストのツアーなら地方へも駆けつけているのだとか…。でも逆に、そこまでの情熱をお持ちの方にも読んでいただけているとなると、気を引き締めて書かなければな、と、思った次第です。
2020年も宜しくお願いいたします。このコラムは広く読んでいただけているようで、お会いした人に、そう言って頂けることも多いです。でも、最近の音楽ファンは一組のアーティストを熱烈支持している方も多いようで、「○○○○○を取り上げていただいてありがとうございました、と、お伝えください」と、そんな伝言を受けたこともありました。なんでもその方の友人が、可能な限り、大好きなアーティストのツアーなら地方へも駆けつけているのだとか…。でも逆に、そこまでの情熱をお持ちの方にも読んでいただけているとなると、気を引き締めて書かなければな、と、思った次第です。