1990年11月16日発売
今回は岡村靖幸の初期の名作を取り上げることにしよう。なお、彼は今現在も独自の世界観でファンを魅了し続けている。ちょっと前のことだけど、僕も東京・中野サンプラザでステージを久々に観て、ファンク・ミュージックのこなし方とファンのもてなし方の巧みさに感心したのだった。
80年代の中頃に、このヒトが登場してきた時のことは鮮明に覚えている。当時、さっそく取材したが、そろそろ80年代的なるもの(主に東京・青山にあったエピックというレコード会社が牽引していた)が揃いつつあった時、そのレーベルから、さらなる新しさをまとい、デビューしたのが彼だった。当時の洋楽のプリンスなんかに影響されつつも、改めて日本語と、正々堂々格闘する姿勢を天晴れに思った。
バーボンソーダの現在と、カルアミルクの過去
歌ネットにおける人気曲を確認しつつ、やはりまずは「カルアミルク」を取り上げよう。彼の後輩のシンガーソングライター達からも、絶大な人気を誇る名曲だ。
彼の作品は、一般のみならず、なぜ同業者からもウケるのだろうか。思い当たるふしがある。歌詞をリズムやメロディと一体化させノリノリにしつつも、日本語の文法は遵守して書いているからではなかろうか。
意味よりノリを追求するあまり、国語の先生の採点的には崩壊状態になったりしがちなのが歌詞というものだ。でも彼は違うのだ。その作業の難易度は、実際に歌を書いた経験がある人のほうが実感できる。ゆえに同業者の評価も高いのだろう。
さて「カルアミルク」である。ちょっとした諍いから疎遠になりかけてる、男の子と相手との物語だ。仲直りのタイミングを、男の子が歌いかけている。けして物語の展開は複雑じゃない。まさに相手への、仲直りの提言がほぼすべてを占める。
さらに歌全体から伝わるのは、もう修復不可能ってほどこじれてるわけじゃないことだ。意地の張り合い、みたいなことでもあるようだ。
タイトルにもなっているカルアミルクは重要である。ただ今現在、主人公はカルアミルクを卒業し、バーボンソーダを嗜む。しかし相手に対し、カルアミルクを再び一緒に飲みましょうよと誘う。
ご存じない方のために、このお酒のことを。メキシコ産のカルーアというコーヒー・リキュールをミルクで割ったカクテルのことだ。80年代のカフェバー・ブームの際、お酒に弱い女性もオシャレに飲めることから珍重され、大人気となり、今に至る。
でもって、[あの頃の僕]はその弱いお酒でも[赤くなってた]という告白がある。それが今やバーボンソーダなんだから成長したのぉ、と思いきや、実はソーダについては本当は[おいしいと思えない]なんてことも吐露しているである。
ここまでをまとめると、つまり男の子は、バーボンソーダ期へと成長したようでいて未だカルアミルク期のままだということだ。それは相手への“未練の象徴”という解釈も可能だ。
ここで、呼び出された相手側のことをみてみよう。まず、主人公が呼び出したのは六本木。二人にとって、思い出の街かもしれない。作品のリリースは1990年の12月なので、まだ六本木ヒルズは開業していない。当時、街を象徴したのはアジア最大規模のディスコと言われた「ベルファーレ」である。
そもそもこの歌の主人公は[午前8時か9時まで]遊んでいるという驚異の夜型を超えた“朝方人間”であり、24時間営業の青春を謳歌する。なので相手をいったい何時に呼び出そうとしたか気になる。
歌のなかに、実に独特なフレーズが登場する。[優勝できなかったスポーツマン]みたいな[ちっちゃな根性]って書かれているが、これはどういうことなのだろう。
そんなものに、なぜわざわざ着眼する必要があったのか。まず“スポーツマン”そのものが、主人公と縁もゆかりも無さそうだ。なにしろ彼は[午前8時か9時まで]遊んでいる。そういう人間が、そのまま朝練とかするわけがない。
それでも無理矢理“スポーツマン”をたぐり寄せてみたのは、しかもごく微量でも“根性”を必要としたのは、そんなものであっても、相手を呼び出すための決断を、後押ししてくれると思ったからだろう。
長ければいいわけじゃないが気持ちいいこともある
「カルアミルク」で盛り上がりすぎてしまったが、歌ネットで人気のもう一曲を。「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」である。実に長いタイトル。しかし、この歌が多くの人の記憶に残るのは、長いけど、覚えやすいからだ。
長いのは、以前もあった。僕なんかが好きだったのはチェリッシュの「なのにあなたは京都へゆくの」だったけど、これほどは長くはなかった。
タイトルにロングシュート、歌詞のなかに[ダンキンシュート](いわゆるダンクシュートのことと思われる)とあるので、バスケットの歌だが、あと15秒で試合が終わるというのに、ロングシュートを狙いつつ[ダンキンシュート]も頭にあり迷うというのは、つまり主人公のバスケの腕前は、そこそこであることを意味する。そうじゃなくても所属するのは34連敗中のチームなのだ。
ただこの歌は、教育上非常に宜しい内容である。寂しい悲しい辛いばかりだったら[あきらめてかまわない]と歌っていてくれる。本当に大事なことというのは[そんなんじゃない]とまでアドバイスしてくれている。教科書に載せるべき(もう載ってるかもしれないが)作品である。
歌詞の表現としてフレーズを示すなら[汗で滑るバッシュー]が[謡うイルカ]というのが素晴らしい。ぱっとイルカの鳴き声をここに擬音で表現するなら♪ピュイィ、みたいな感じだろうか。その体育館の床のワックスの状況にもよるだろうが、なんか聞こえてきそうである。
80年代の中頃に、このヒトが登場してきた時のことは鮮明に覚えている。当時、さっそく取材したが、そろそろ80年代的なるもの(主に東京・青山にあったエピックというレコード会社が牽引していた)が揃いつつあった時、そのレーベルから、さらなる新しさをまとい、デビューしたのが彼だった。当時の洋楽のプリンスなんかに影響されつつも、改めて日本語と、正々堂々格闘する姿勢を天晴れに思った。
バーボンソーダの現在と、カルアミルクの過去
歌ネットにおける人気曲を確認しつつ、やはりまずは「カルアミルク」を取り上げよう。彼の後輩のシンガーソングライター達からも、絶大な人気を誇る名曲だ。
彼の作品は、一般のみならず、なぜ同業者からもウケるのだろうか。思い当たるふしがある。歌詞をリズムやメロディと一体化させノリノリにしつつも、日本語の文法は遵守して書いているからではなかろうか。
意味よりノリを追求するあまり、国語の先生の採点的には崩壊状態になったりしがちなのが歌詞というものだ。でも彼は違うのだ。その作業の難易度は、実際に歌を書いた経験がある人のほうが実感できる。ゆえに同業者の評価も高いのだろう。
さて「カルアミルク」である。ちょっとした諍いから疎遠になりかけてる、男の子と相手との物語だ。仲直りのタイミングを、男の子が歌いかけている。けして物語の展開は複雑じゃない。まさに相手への、仲直りの提言がほぼすべてを占める。
さらに歌全体から伝わるのは、もう修復不可能ってほどこじれてるわけじゃないことだ。意地の張り合い、みたいなことでもあるようだ。
タイトルにもなっているカルアミルクは重要である。ただ今現在、主人公はカルアミルクを卒業し、バーボンソーダを嗜む。しかし相手に対し、カルアミルクを再び一緒に飲みましょうよと誘う。
ご存じない方のために、このお酒のことを。メキシコ産のカルーアというコーヒー・リキュールをミルクで割ったカクテルのことだ。80年代のカフェバー・ブームの際、お酒に弱い女性もオシャレに飲めることから珍重され、大人気となり、今に至る。
でもって、[あの頃の僕]はその弱いお酒でも[赤くなってた]という告白がある。それが今やバーボンソーダなんだから成長したのぉ、と思いきや、実はソーダについては本当は[おいしいと思えない]なんてことも吐露しているである。
ここまでをまとめると、つまり男の子は、バーボンソーダ期へと成長したようでいて未だカルアミルク期のままだということだ。それは相手への“未練の象徴”という解釈も可能だ。
ここで、呼び出された相手側のことをみてみよう。まず、主人公が呼び出したのは六本木。二人にとって、思い出の街かもしれない。作品のリリースは1990年の12月なので、まだ六本木ヒルズは開業していない。当時、街を象徴したのはアジア最大規模のディスコと言われた「ベルファーレ」である。
そもそもこの歌の主人公は[午前8時か9時まで]遊んでいるという驚異の夜型を超えた“朝方人間”であり、24時間営業の青春を謳歌する。なので相手をいったい何時に呼び出そうとしたか気になる。
歌のなかに、実に独特なフレーズが登場する。[優勝できなかったスポーツマン]みたいな[ちっちゃな根性]って書かれているが、これはどういうことなのだろう。
そんなものに、なぜわざわざ着眼する必要があったのか。まず“スポーツマン”そのものが、主人公と縁もゆかりも無さそうだ。なにしろ彼は[午前8時か9時まで]遊んでいる。そういう人間が、そのまま朝練とかするわけがない。
それでも無理矢理“スポーツマン”をたぐり寄せてみたのは、しかもごく微量でも“根性”を必要としたのは、そんなものであっても、相手を呼び出すための決断を、後押ししてくれると思ったからだろう。
長ければいいわけじゃないが気持ちいいこともある
「カルアミルク」で盛り上がりすぎてしまったが、歌ネットで人気のもう一曲を。「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」である。実に長いタイトル。しかし、この歌が多くの人の記憶に残るのは、長いけど、覚えやすいからだ。
長いのは、以前もあった。僕なんかが好きだったのはチェリッシュの「なのにあなたは京都へゆくの」だったけど、これほどは長くはなかった。
タイトルにロングシュート、歌詞のなかに[ダンキンシュート](いわゆるダンクシュートのことと思われる)とあるので、バスケットの歌だが、あと15秒で試合が終わるというのに、ロングシュートを狙いつつ[ダンキンシュート]も頭にあり迷うというのは、つまり主人公のバスケの腕前は、そこそこであることを意味する。そうじゃなくても所属するのは34連敗中のチームなのだ。
ただこの歌は、教育上非常に宜しい内容である。寂しい悲しい辛いばかりだったら[あきらめてかまわない]と歌っていてくれる。本当に大事なことというのは[そんなんじゃない]とまでアドバイスしてくれている。教科書に載せるべき(もう載ってるかもしれないが)作品である。
歌詞の表現としてフレーズを示すなら[汗で滑るバッシュー]が[謡うイルカ]というのが素晴らしい。ぱっとイルカの鳴き声をここに擬音で表現するなら♪ピュイィ、みたいな感じだろうか。その体育館の床のワックスの状況にもよるだろうが、なんか聞こえてきそうである。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
またまた籠もってまとまった仕事をしている日々だが、効率というのは、(何十年この仕事をやってても)濃淡がつきものだ。で、濃い時(要するに、集中力と閃きがある時)は、一秒たりとも無駄にしたくない。仕事場の環境としては、適度に散らかった状態が好ましい。これが微妙であり、開いたまま伏せた参考図書が二つ重なってる程度はむしろ居心地の良さへ繋がり、でもそれを超えると、ただの雑然になってしまう。
またまた籠もってまとまった仕事をしている日々だが、効率というのは、(何十年この仕事をやってても)濃淡がつきものだ。で、濃い時(要するに、集中力と閃きがある時)は、一秒たりとも無駄にしたくない。仕事場の環境としては、適度に散らかった状態が好ましい。これが微妙であり、開いたまま伏せた参考図書が二つ重なってる程度はむしろ居心地の良さへ繋がり、でもそれを超えると、ただの雑然になってしまう。