第123回 B'z「山手通りに風」
photo_01です。 2022年8月10日発売
 少し前の話だが、B'zの稲葉浩志にインタビューしたことがあった。これまで取材した数多いアーティストのなかで、抜きんでて誠実で、聡明で、たまにお茶目な部分もあるヒトだった。ただ、お目にかかれたのは、その時だけだったのである。

彼に会う前、バイオグラフィに目を通し、大学で数学を勉強していたという事実に興味が湧いた。別に、そういうヒトが音楽の道に進んでも一向にかまわないのだが、なんか珍しく感じた。その頃、巷では「ファジー理論」というのが持て囃されていて、不自然にならない程度に、そんなワードも織りまぜつつ、質問したのを覚えてる。

独創性と普遍性を兼ね備えた彼の歌詞に関しては、既にこのコラムで取り上げたが、せっかくB’zの新しいアルバム『Highway X』が出たばかりでもあるし、改めて、作詞家・稲葉浩志の世界に触れてみることにした。

なお、この作品集自体は、ハード・ロックの未来を見据え、サウンドの部分も革新にみちた仕上がりなのだが、本コラムの性格上、歌詞に絞って紹介させて頂く。

今という時代だからこそ描かれた歌たち

 歌は世相を映すが、それは有形無形の形で歌詞のなかに溶け込んでいく。心の中に、ずっしり色濃く描かれもすれば、背景の部分に、ちらりと顔を出すことだってある。

「山手通りに風」は、筆者も大好きな詞の世界観なのだが、この歌に、[マスク越しに届く あなたのもらした声]という表現がある。このフレーズは、非常に味わい深い。

[もらした声]というのは、こういうものだった。街角で子供たちの姿をみて、ふと相手が、[可愛い]と、そう[もらした]のである。

きっと相手は、呟くように言ったのだろう。でも、マスクゆえに遮音され、呟くように聞こえただけで、実際には違っていたかもしれない。そのあたり、聴き手が想像してみるしかない。マスクはコロナがもたらした煩わしいアイテムだが、この場合、歌詞のニュアンスを、むしろ豊かにしてくれてると言えるのだ。

「山手通りに風」には、もうひとつ、ぜひ書いておきたい表現がある。高架下が[強情な緑の蔦]に覆われているのを見て、主人公は様々なものが[“いつのまにか”だって気づく]部分である。

これは素晴らしい。素晴らしすぎる! 実際の蔦は、毎日毎日少しずつ伸びて、やがて高架下を覆うまでに育ったのである。でも世の中というのは、目に見えるもの、見えないもの含め、ふと気づけば、“いつのまにか”のオンパレードなのだろう。

主人公は、高架下の景色から、そのことに気づくのだ。日常の、何気ない景色のなかに物事の真理をみつけていくのがポップ・ソングだが、この表現は、まさにその意味で、素晴らしいものに思えた。

歌と直接関係ない情報だが、東京の山手通りは、近年、新たに幅広い歩道が整備され、とても散歩しやすくなっている。ぜひどうぞ。

「マミレナ」って、どこかの地名かと想ったら…。

 『Highway X』には、新鮮な歌詞がずらっと並んでいるが、つぎに「マミレナ」を取り上げたい。最初に書いておく。この場合の“マミレナ”とはなにかというと、塗れ(まみれ)なさいの“マミレナ”である。

ではさっそく見ていこう。まず歌詞全体を眺め、いちばんストレートに感じられるのは、[汚れてごらんな][自分になんな]のところだろう。

また、[真っ白いままでいたい]に対して、そんな根性は捨てなさいと説きつつ、[何色だっていいまみれな]と続けている。ここに楽曲タイトルが出てきているわけである。

ジャンル分けするなら、本作は啓発ソングだろう。全力でぶつかる前に言い訳を用意するタイプの人間には、耳がいたい内容の歌詞かもしれない。

肝心なことを、程よいユーモアとともに描く

 改めて言うこともないが、稲葉浩志の歌詞というのは、程よいユーモアを含んでおり、だから聴き手はヘンに構えずに聴けるし、彼の発するメッセージが、心に染み込みやすくもあるのだった。

その意味で取り上げたいのが、「YES YES YES」。この歌を聞いて思い浮かぶのは、「利己的」の反対語の「利他的」という言葉。

歌詞にもハッキリ、[他人の幸せ喜べる 人間になりなさい]とある。実はこれ、[ママの言葉]なのだった。主人公は、ふと、この一言を想い出すのである。

現代社会は居心地が悪い。その元凶たる人々の姿も描写される。たとえば[ちゃっかりチクリ得意げ]な[アイツ]とか、[危ないムードだけ大げさに煽って]いる[先生]とか…。

でも、こういうこと並べるだけならば、単なる告発調の歌詞になるだろう。しかしそこは稲葉浩志である。

ネット社会の誹謗中傷の根の深さを、江戸時代になぞらえ、それは[市中引き回し磔獄門]にも等しいものなのだと被害者の心情を代弁する。でも、いきなり[市中引き回し]って…。ちなみに磔獄門とは、まさに磔(はりつけ)になり処刑されることである。

もちろん、ユーモアも含め、そう書いているのだ。こういう言葉をひょいとぶち込めるのが、彼の作詞術の柔らかさ、なのだろう。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

最近、暇をみつけて映画館に足を運んでいる。やはり映画というのは、2時間なら2時間、椅子に縛りつけられてこそだなぁと思う。特に、最初の30分間、ちょっと失敗したかなぁと思った作品が、後半、どんどん面白くなっていったりするとそう思う。もし家だったら、とっくに観るのやめてただろうし…。ところで映画館では、なぜポップコーンを売るのだろう。先日、その理由が分かった。あれは、口に運んでも音がせず、周囲の迷惑にならないからだ。おせんべいは、けして売らないのである。