第122回 吉田拓郎
 年内での活動終了を宣言した吉田拓郎に関しては、日本の音楽シーンに与えた影響などについて、多くの記事が書かれている。それらを読めば、彼の功績を知ることができるだろう。

でも僕は、「知る」より彼の音楽そのものを「感じて」欲しいのだ。そのためには、歌を聞くしかない。いちおう“拓郎世代”といえる僕が、改めて、代表的な作品を紹介させていただくことにする。

photo_01です。 1972年1月21日発売
「結婚しようよ」

 この歌は、思えば最近、あまり取り上げられない。ご本人がライブで歌い続けることを拒絶したのも一因かもしれない。とはいえ、1972年に大ヒットし、社会現象まで巻き起こした作品だ。この曲以前の“フォーク・ソング”は、問題意識が高いアンダーグラウンドな存在だった。しかし「結婚しようよ」により、一般の歌謡曲ファンにまでフォークというジャンルの歌が届くようになった。この一曲が歴史を変えた。若い方も、ぜひ聴いてみて欲しい。

今回改めて注目して欲しいのは、まずサウンドだ。加藤和彦に協力を求めて完成されたアレンジは、全編に爽快なスライド・ギターが響き、ハーモニウムと呼ばれる足踏みオルガンの音色もアクセントとなった素晴らしいものだ。間違いなく、いま聴いても新鮮だ。

歌詞に関して言うなら、新鮮な表現がある。[春がペンキを肩に][お花畑の中を散歩にくる]というのは、目に染みるくらいカラフルだ。自然の行いを、あえて“ペンキ”という人工物に置き換えたことにより、辺りが色づいていく春という季節を、巧みに表現してみせたのだ。

photo_01です。 1971年11月20日発売
「どうしてこんなに悲しいんだろう」

 吉田拓郎は生活の実感を素直に歌ったことで支持を得たとされるが、確か本人が語っていたところによると、「どうしてこんなに悲しいんだろう」は、悲しい歌を書こうと思い、そんな気持ちに自分を追いやって書いたという。

となると、生活の実感というより、プロの作家の創作に近いものだったろう。とはいえこの歌は、いま聴いても本当に良い歌なので、ぜひぜひお薦めする。

ここでいう「悲しさ」とは、好きな人に振られちゃった、とか、携帯を落としちゃった、とか、そういう悲しさではない。生きていると感じてしまう、「なんとなく悲しい」という感情だ。その証拠、ではないが、歌の冒頭で、[悲しいだろ みんな同じさ]とも歌っている。

人はひとりじゃ生きられない。とはいえ、人づきあいは煩わしい。ふたつのあいだで揺れる気持ちも、この歌のひとつのテーマである。

重要なフレーズがある。僕自身はこの歌を聴くたびに、ここがグサッと胸に突き刺さる。声を張り、メロディが盛り上がるあたりなので、余計、印象深い。

[これが自由というものかしら]のあとの、[自由になると 淋しいのかい]と続いていく。

彼の世代が影響受けた哲学者に、サルトルがいる。サルトルは「人間は自由という名の刑に処せられている」という名言を残したが、それはどういうことかというと、自由なんて簡単に手に入るわけじゃなく、自由であるなら自由であるなりの責任が人間には存在する、ということなのだ。

吉田拓郎が“自由とは淋しいものなのか?”と問いかけたのは、サルトルにも通じることと言えるだろう。

歌の後半で、結論めいたことが歌われる。[やっぱり僕は人にもまれて][皆のなかで生きる]と宣言するのだ。ところが続きがあって、そうはいっても再び主人公は、いつものように自分は[心を閉ざしている]のかもしれないんだと振り出しに戻している。

結論などないのだけど、逆にそれがこの歌のリアリティだ。結論がないといえば、同じ吉田拓郎の「今日までそして明日から」も、結論は描かれていない。

photo_01です。 1972年7月21日発売
「馬」

 ここで僕が大好きな異色作を。ノベルティ(コミック)・ソングと分類できるかもしれない他愛ない作品なので、気楽にお付き合いください。

[でっかい鼻の穴おっぴろげて]馬が走ったり、笑ったり、飛んでいったり、手を振ったり、歌ったりする様を、ただただ描写するだけの歌だ。これ読んだだけではなんのこっちゃ、かもしれないが、本当にそれだけの歌なのだ。

“おっぴろげて”という言葉が繰り返し出てくる。歌にはあまり使わない単語だ。さらにスタジオで特殊なエコーなど加えられ、今の耳で聴くと、コンピューター操って多重録音したような仕上がりにも思える。ともかく「馬」の個性的な世界観は、実際に聴いてもらうしかない。なんじゃこりゃ、とウケること間違いない!

photo_01です。 2022年6月29日発売
「ah-面白かった」

 最後は彼のラスト・アルバムのタイトル・ソングを紹介したい。普通なら、これまでの音楽活動の総括となる内容だろうし、まさに“面白かった”というのが、ご本人の偽らざる感想なのだと想像した。実際は、どんな内容なのだろうか。

もしや奥様に向けて歌いかけている作品とも受け取れた。さらなる旅立ちを予感させる部分もあるが、全体のイメージとしては、“帰還”である。若い頃の吉田拓郎の歌は、その年齢だから書けたものだが、この歌も、今現在の彼だから書けたのだ。

特にジーンとしてしまったのは、相手が[苦しみの日]を敢えて語らないで、そのかわり、[「面白かった」とささやく]、という部分である。つまり「ah-面白かった」の“面白い”という言葉の裏側には、楽しかったことだけじゃない様々な感情が控えていて、それでも相手を想い、発せられたのがこの一言だったのだ。ぜひこの歌を、いや、吉田拓郎のラスト・アルバム全体を、聴いて見てほしい。

これから年内に、吉田拓郎はラスト・ライブのようなものを企画しているのだろうか。残されたラジオの仕事などをこなして、そのまままさに引退だろうか。先日放送された『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP 』を見ると、例えばKinKi Kidsが声を掛けたとして、イレギュラーであるなら、何がしかのことが実現しなくもない、みたいなニュアンスも読み取れたのだが、果たして…。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

吉田拓郎が年内で活動を終了するという。ファンの一人として残念だが、彼のアーティスト活動は終わっても、人間活動は続いていく。そして、もうやらないと宣言して、でも再びやった“前科”がある人なので、ファンは密かに、そんなことも期待してたりするのである。とはいえ、年齢も年齢だし、ご無理をなさらず今後の人生を満喫されることを願っている。取材で二度ほどお目にかかったことがある。激しく緊張したが、程よいユーモアとともに「吉田拓郎」を客観的に語っていただけたので、初回も二回目も、充実した時間だった。