2020年10月23日配信
今回は、Adoの「うっせぇわ」である。タイミング的には「今更?」と思われるかもしれないが、やっぱこの曲は……、どうしても無視できないので取り上げる(笑)。
ちなみに作詞・作曲はsyudou。この人の他の作品にも触れてみたが、(こと歌詞に関しては口語の生命力あるリズムを上手に取り入れるあたりが印象的だった。
久しぶりに歌から誕生した流行語
さて「うっせぇわ」である。でもこの場合、二種類の“聴き手”が存在する曲ではなかろうか。まずはフル・コーラス聴いたことあるヒト。
もうひとつはサビの“うっせぇ うっせぇ うっせぇわ”のところだけ知ってるヒト(後者の場合、厳密に「曲を聴いた」とは言えないので「知ってる」と書かせていただいた)。
いわば“聴き手”の二層構造とでもいえる現象だ。曲が流行ったと同時に、“うっせぇわ”が流行語にもなったからである。だったら久しぶりのことだ。
流行歌が世の中に大きなインパクトを与えた1960~70年代には、歌の文句から流行語が生まれることも珍しくなかったが、最近はぱったりだった。なので久しぶり。
“うっせぇ うっせぇ うっせぇわ”は、あまりお上品ではない口語だが、非常に濃い感情がこもる。“もぉ~~ うるちゃぁ~い”とか言ってる場合じゃないとき使う。「っ」の破裂音が連発される。
メロディに乗せて口ずさむと、多少はマイルド化するけど、この期に乗じて親子間・恋人間・夫婦間・師弟間などで(半分シャレも含め)この言葉をほざくという新たなコミュニケーション術も生まれたのだと思う。そんなことから流行語にもなったわけだ。
ただ、幼稚園児とかの場合は立場が違う。“うっせぇ うっせぇ”を覚え,園内で大合唱でもしたらどうだろう。先生方は眉をひそめる。聞いた話では、実際に“歌唱禁止”となった幼稚園もあったようだ。
「ギザギザハートの子守唄」のパロディ?
「うっせぇわ」のAメロ冒頭に、[ちっちゃな頃から優等生]というフレーズが出てくる。これは明らかに、チェッカーズのデビュー曲「ギザギザハートの子守歌」のパロディと思われる。
こちらご本家の方は[ちっちゃな頃から悪ガキで]である。少し後の[ナイフのような思考回路]により,パロディであることが決定的となる。ご本家では[ナイフみたいにとがっては]という歌詞だ。
ただ、ここで考えた。むしろ悪ガキのほうが、備わる自己表現力としては健康的なイメージだ。これが小さな頃から“優等生”となると、大人の顔色を眺めている鬱屈した幼少期を想わせる。
でも実際のところ「うっせぇわ」という歌は、己のなかの鬱屈を、なんとか追い出そうともがく主人公の歌でもあるのだ。
主人公がエリートっぽいのが意外だ
若い連中に流行っている歌なんだなー、と、そんな心積りでYouTubeを訪ねていくと、意外にも主人公がエリートっぽいサラリーマンだと分かり、驚くことになる。
主人公の彼か彼女は[経済の動向も通勤時チェック]してるということは、おそらくスマホで「日経電子版」とか講読してるんだろう。あれは安くてもひと月購読料4000円以上掛かる。しかしお仕事上、楽勝で元はとれるのだろう。
こんな立場の人間が日常のなかで[うっせぇ うっせぇ うっせぇわ]などと口にしようものなら、非常にリスキィだ。そう。辞表も覚悟。
つまりサビにおける極上の解放感・ぶっちゃけ感は、こうした人物設定があってこそ増長されている。
よく話題になる「エイデイ」の新解釈
歌詞のなかにエイデイという言葉が出てくる。[あてもなくただ混乱するエイデイ]と、こんな感じに。
脈絡からいって、「エイデイ=エブリデイ」というのが無難な解釈のようである。確かにネイティヴのヒトが発音するエブリデイは、エイデイと聞こえなくもない。
しかしそれでは面白くないので、こう解釈してみることにした。[エイデイ=エイト・デイズ]説である。
しつこいようだが、ともかくそれは、[あてもなくただただ混乱する]日々なのである。辛くてともかく長く感じられることだろう。
ふつう、1週間はセブン・デイズだけど、もうこの場合、エイト・デイズくらいに長く感じてしまっている…。なのでエイデイ。この説、どんなものでしょうか。
Adoの歌唱表現力について
みんなこのヒトの歌唱表現力をべた褒めしている。確かに滞空時間が長い印象的な声と歌唱力の持ち主であり、筆者もそれは認めるところだ。
ただ、歌の本当の上手さというのはライブ・ステージを見た時に実感する。現状、公の場での活動を標榜している方ではなさそうだし、無理に、とは言わないが…。
「レディメイド」など聴くと、ファルセットというかミックス・ボイスというか、地声とそのあたりの繋がり・発展ぐあいなど、実に豊かなものを感じた。
「うっせぇわ」がインパクト絶大ではあったけど、これだけの資質があれば、「押す曲」だけじゃなく「引きの曲」もいけそうだ。末永い活動を期待する。
ちなみに作詞・作曲はsyudou。この人の他の作品にも触れてみたが、(こと歌詞に関しては口語の生命力あるリズムを上手に取り入れるあたりが印象的だった。
久しぶりに歌から誕生した流行語
さて「うっせぇわ」である。でもこの場合、二種類の“聴き手”が存在する曲ではなかろうか。まずはフル・コーラス聴いたことあるヒト。
もうひとつはサビの“うっせぇ うっせぇ うっせぇわ”のところだけ知ってるヒト(後者の場合、厳密に「曲を聴いた」とは言えないので「知ってる」と書かせていただいた)。
いわば“聴き手”の二層構造とでもいえる現象だ。曲が流行ったと同時に、“うっせぇわ”が流行語にもなったからである。だったら久しぶりのことだ。
流行歌が世の中に大きなインパクトを与えた1960~70年代には、歌の文句から流行語が生まれることも珍しくなかったが、最近はぱったりだった。なので久しぶり。
“うっせぇ うっせぇ うっせぇわ”は、あまりお上品ではない口語だが、非常に濃い感情がこもる。“もぉ~~ うるちゃぁ~い”とか言ってる場合じゃないとき使う。「っ」の破裂音が連発される。
メロディに乗せて口ずさむと、多少はマイルド化するけど、この期に乗じて親子間・恋人間・夫婦間・師弟間などで(半分シャレも含め)この言葉をほざくという新たなコミュニケーション術も生まれたのだと思う。そんなことから流行語にもなったわけだ。
ただ、幼稚園児とかの場合は立場が違う。“うっせぇ うっせぇ”を覚え,園内で大合唱でもしたらどうだろう。先生方は眉をひそめる。聞いた話では、実際に“歌唱禁止”となった幼稚園もあったようだ。
「ギザギザハートの子守唄」のパロディ?
「うっせぇわ」のAメロ冒頭に、[ちっちゃな頃から優等生]というフレーズが出てくる。これは明らかに、チェッカーズのデビュー曲「ギザギザハートの子守歌」のパロディと思われる。
こちらご本家の方は[ちっちゃな頃から悪ガキで]である。少し後の[ナイフのような思考回路]により,パロディであることが決定的となる。ご本家では[ナイフみたいにとがっては]という歌詞だ。
ただ、ここで考えた。むしろ悪ガキのほうが、備わる自己表現力としては健康的なイメージだ。これが小さな頃から“優等生”となると、大人の顔色を眺めている鬱屈した幼少期を想わせる。
でも実際のところ「うっせぇわ」という歌は、己のなかの鬱屈を、なんとか追い出そうともがく主人公の歌でもあるのだ。
主人公がエリートっぽいのが意外だ
若い連中に流行っている歌なんだなー、と、そんな心積りでYouTubeを訪ねていくと、意外にも主人公がエリートっぽいサラリーマンだと分かり、驚くことになる。
主人公の彼か彼女は[経済の動向も通勤時チェック]してるということは、おそらくスマホで「日経電子版」とか講読してるんだろう。あれは安くてもひと月購読料4000円以上掛かる。しかしお仕事上、楽勝で元はとれるのだろう。
こんな立場の人間が日常のなかで[うっせぇ うっせぇ うっせぇわ]などと口にしようものなら、非常にリスキィだ。そう。辞表も覚悟。
つまりサビにおける極上の解放感・ぶっちゃけ感は、こうした人物設定があってこそ増長されている。
よく話題になる「エイデイ」の新解釈
歌詞のなかにエイデイという言葉が出てくる。[あてもなくただ混乱するエイデイ]と、こんな感じに。
脈絡からいって、「エイデイ=エブリデイ」というのが無難な解釈のようである。確かにネイティヴのヒトが発音するエブリデイは、エイデイと聞こえなくもない。
しかしそれでは面白くないので、こう解釈してみることにした。[エイデイ=エイト・デイズ]説である。
しつこいようだが、ともかくそれは、[あてもなくただただ混乱する]日々なのである。辛くてともかく長く感じられることだろう。
ふつう、1週間はセブン・デイズだけど、もうこの場合、エイト・デイズくらいに長く感じてしまっている…。なのでエイデイ。この説、どんなものでしょうか。
Adoの歌唱表現力について
みんなこのヒトの歌唱表現力をべた褒めしている。確かに滞空時間が長い印象的な声と歌唱力の持ち主であり、筆者もそれは認めるところだ。
ただ、歌の本当の上手さというのはライブ・ステージを見た時に実感する。現状、公の場での活動を標榜している方ではなさそうだし、無理に、とは言わないが…。
「レディメイド」など聴くと、ファルセットというかミックス・ボイスというか、地声とそのあたりの繋がり・発展ぐあいなど、実に豊かなものを感じた。
「うっせぇわ」がインパクト絶大ではあったけど、これだけの資質があれば、「押す曲」だけじゃなく「引きの曲」もいけそうだ。末永い活動を期待する。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
さまざまな反対意見があるオリンピックだが、やることになった以上はこの現実のなかに最大多数の最大幸福を得ようと、テレビに齧りついている(実際に前歯で齧ってるわけではないですよっ)。面白かったのがサーフィンだ。そもそもアレ、自分の競技時間内にどんな波がくるかは運次第という、このさばさばした感じが素敵だ。また、難しい演技をキメたあとの選手のサーフボード上でのドヤ顔(笑)。ドヤ顔が一番似合うスポーツがサーフィンなのではなかろうか。
さまざまな反対意見があるオリンピックだが、やることになった以上はこの現実のなかに最大多数の最大幸福を得ようと、テレビに齧りついている(実際に前歯で齧ってるわけではないですよっ)。面白かったのがサーフィンだ。そもそもアレ、自分の競技時間内にどんな波がくるかは運次第という、このさばさばした感じが素敵だ。また、難しい演技をキメたあとの選手のサーフボード上でのドヤ顔(笑)。ドヤ顔が一番似合うスポーツがサーフィンなのではなかろうか。