いろいろわかる… 水森かおり ロングインタビュー!

いろいろわかる… 水森かおり ロングインタビュー!「ちょっと泣いちゃいましたね…」通算34作目となる最新曲『三陸挽歌』が 2024年1月23日に発売! これまでなかった曲調で新たな魅力を引き出した曲! デビュー後、クビになりかけた過去…など、これまでのヒストリーもたっぷりと!

 


インタビューの最後に、直筆サイン色紙 の 読者プレゼントあり!

 



Mizumori  Kaori
水森 かおり

34th Single『 三陸挽歌



★ 1995年、22歳の時、シングル『おしろい花』で歌手デビューして 29年目!
★ 紅白歌合戦に 2003年から 21年 連続出場中!「ご当地ソングの女王」!
★ 金管楽器のような、特徴的な抜けの良い歌声が魅力!

★ 通算34作目となる最新曲『三陸挽歌』は、これまでなかった曲調!
★「ちょっと泣いちゃいましたね…」

★ 歌手デビュー後、一時はクビになりかけた過去も!
★ 小学生の頃「ちびっ子のど自慢」荒らしだったが、歌手は目指していなかった!
★「ご当地ソングの女王」誕生のきっかけ とは……? 

 

 

 

水森かおり「三陸挽歌」ミュージックビデオ(2024年1月23日発売)
 
 
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■ シングル CD リリース 情報
 
 
 
水森かおり『三陸挽歌』(タイプ A)
シングル CD
2024年 1月23日 発売
TKCA-91540
¥1500
徳間ジャパンコミュニケーションズ
 
<収録曲>
01.  三陸挽歌  (作詞:たきのえいじ / 作曲:弦 哲也 / 編曲:伊戸のりお)
02.  北上川旅情 (作詞:さくらちさと / 作曲:弦 哲也 / 編曲:竹内弘一)
03.  三陸挽歌  (オリジナルカラオケ)
04.  北上川旅情 (オリジナルカラオケ)
05.  三陸挽歌  (半音下げカラオケ)
06.  北上川旅情 (半音下げカラオケ)
07.  三陸挽歌  (半音下げカラオケ・ガイドメロ入り)
08.  北上川旅情 (半音下げカラオケ・ガイドメロ入り)
 
 
 
 
水森かおり『三陸挽歌』(タイプ B)
シングル CD
2024年 1月23日 発売
TKCA-91541
¥1500
徳間ジャパンコミュニケーションズ
 
<収録曲>
01.  三陸挽歌 (作詞:たきのえいじ / 作曲:弦 哲也 / 編曲:伊戸のりお)
02.  龍泉洞  (作詞:麻こよみ / 作曲:弦 哲也 / 編曲:竹内弘一)
03.  三陸挽歌 (オリジナルカラオケ)
04.  龍泉洞  (オリジナルカラオケ)
05.  三陸挽歌 (半音下げカラオケ)
06.  龍泉洞  (半音下げカラオケ)
07.  龍泉洞  (半音下げカラオケ・ガイドメロ入り)
08.  龍泉洞  (半音下げカラオケ・ガイドメロ入り)

 

 
 

 

 

 

■ コンサート DVD リリース情報

 

 



水森かおり『メモリアルコンサート ~歌謡紀行~ 2023.9.25』
DVD(2枚組)
2024年 1月23日 発売
TKBA-1400
¥5100
徳間ジャパンコミュニケーションズ

 

<DISC 1 収録内容>
01. 日向岬

02. おしろい花

03. 早鞆ノ瀬戸

04. ひとり薩摩路

05. 安芸の宮島

06. 伊勢めぐり

07. 五能線

08. 北国行きで

09. 真赤な太陽

10. 白い蝶のサンバ

11. 恋泥棒

12. 真夜中のドア~Stay With Me

13. 東京ブギウギ

14. 瀬戸の花嫁

15. ブルー・ライト・ヨコハマ

16. 憧れのハワイ航路

17. 下町の太陽

18. 高原列車は行く

19. おしろい花ダンスバージョン

20. 鳥取砂丘

21. 高遠さくら路

22. 釧路湿原

23. 虹色のパレット

24. 目黒川

25. 東尋坊

26. 九十九里浜

27. 日向岬

28. 明日への扉

 

<DISC 2 収録内容>

コンサートのメイキング映像

 

*2023年 9月25日 東京都北区「北とぴあ・さくらホール」にて収録。

 

 

水森かおり 徳間ジャパンコミュニケーションズ

 

 

 

 

■ アルバム CD リリース情報

 

 



水森かおり『歌謡紀行 22 ~日向岬~』[通常盤]
アルバム CD
2023年 9月20日 発売
TKCA-75171
¥3,300
徳間ジャパンコミュニケーションズ

<収録曲>

01. 日向岬

02. シラサギ ★

03. 厳美渓(げんびけい) ★

04. 五能線

05. 鳴子峡

06. 目黒川 ★

07. 湖上駅 ★

08. 高遠 さくら路

09. 伊勢めぐり

10. 島根恋旅

11. 早鞆ノ瀬戸

12. 長崎ランタン ★

13. 虹色のパレット ★

14. 鳥取砂丘

★オリジナル新曲

 

 

水森かおり 徳間ジャパンコミュニケーションズ


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水森かおり 歌詞一覧

 

 

 

 

 

■ 番組出演情報


『うたコン』(再放送)

2024年 2月 27日(火) 16:15 〜 17:00

NHK 総合テレビ

 

*初回放送:2024年 2月 20日(火)

*『三陸挽歌』歌唱

 

番組サイト



『歌謡プレミアム アンコール』(再放送)

2024年 2月 29日(木) 20:00 〜 20:54

BS 日テレ

 

*初回放送:2021年 6月14日

 

番組サイト



『昭和歌謡ベストテンDX』▼美空ひばり・都はるみ・石川さゆり 女の情念演歌特集(再放送)

2024年 3月 1日(金) 16:59 〜 17:54

BS-TBS

 

*初回放送:2022年 10月13日

 

放送予定

番組サイト



『新・BS日本のうた』

2024年 3月 17日(日) 19:30 〜 21:00 NHK BSプレミアム4K

2024年 3月 23日(土) 11:30 〜 12:00 NHK BSプレミアム4K(再放送)

2024年 3月 24日(日) 19:30 〜 21:00 NHK BS

2024年 3月 29日(金) 16:30 〜 18:00 NHK BSプレミアム4K(再放送)

2024年 3月 30日(土) 11:30 〜 12:00 NHK BS(再放送)

 

*2024年2月15日 岩手県 北上市「北上市文化交流センター さくらホール」にて収録

*『三陸挽歌』歌唱

 

番組サイト

 

 

 

 

 

コンサート 情報



令和にっぽん!演歌の夢まつり 2024 <福岡公演>

日時: 2024年 4月18日(木) 11:00 開演 / 15:00 開演

会場: 福岡県「福岡 サンパレスホテル&ホール」

料金: 12,800円

出演: 前川清、坂本冬美、水森かおり、丘みどり、三山ひろし、
    真田ナオキ、中澤卓也、新浜レオン

公演詳細


水森かおり コンサート ~歌謡紀行~

日時: 2024年 4月21日(日) 13:00 開演

会場: 千葉県 松戸「森のホール21」

料金: S席 ¥6,800 / A席 5,000円

公演詳細


横須賀徳光座 Vol.4 歌って笑ってマル秘 トーク 『おトクな大人のコンサート』

日時: 2024年 4月23日(火) 17:00 開演

会場: 神奈川県「横須賀市文化会館」

料金: 9,900円

出演: 徳光和夫、水森かおり、北島兄弟(北山たけし、大江裕)、岩佐美咲、森恵、AMEMIYA

公演詳細


令和にっぽん!演歌の夢まつり 2024 <神戸公演>

日時: 2024年 6月8日(土) 11:00 開演 / 15:00 開演

会場: 兵庫県「神戸国際会館こくさいホール」

料金: 12,800円

出演: 鳥羽一郎、山川豊、藤あや子、香西かおり、水森かおり、
          森山愛子、パク・ジュニョン、新浜レオン

公演詳細


令和にっぽん!演歌の夢まつり 2024 <東京公演>

日時: 2024年 6月13日(木) 11:00 開演 / 15:00 開演

会場: 東京都「東京国際フォーラム ホールA」

料金: 13,800円

出演: 堀内孝雄、鳥羽一郎、山川豊、坂本冬美、藤あや子、水森かおり、
          市川由紀乃、真田ナオキ、辰巳ゆうと、新浜レオン

公演詳細

 

 

 

水森かおり コンサート情報

水森かおり イベント / キャンペーン情報

 

 

 

 

 


■ いろいろわかる… 水森かおり ロングインタビュー!



 

 

 水森かおりは、とにかく声が魅力的だ。メジャー調、マイナー調に関わらず、歌声のトーンが明るく、言葉がクリアだから、歌詞がはっきりと聴こえる。その特徴的な歌声は、たとえば、街で耳にすれば、そうと言われなくても、すぐにわかる。

 

 低いの方のモワッとした部分がなく、スカーンと抜ける高音のトーンは、まるで金管楽器のような、きらびやかな響き方、鳴り方をする。欧米の歌手の多くがそういうイメージだが、木管楽器のような響きが一般的な日本人には珍しい。そういう歌声の歌手は、井上陽水、美川憲一、山内惠介、女性歌手なら 坂本冬美 くらいしか思いつかない。

 

 1995年9月25日、22歳の時、シングル『おしろい花』で歌手デビューした 水森かおり は、最初から売れていたわけではない。デビュー後 6年くらいは、今ほど売れることもなく、一度は、レコード会社をクビにもなりかけたことさえあった。それが、2002年に発売された 10作目のシングル『東尋坊』で大きく変わり、翌年、2003年に発売された 11作目のシングル『鳥取砂丘』のヒットで、「NHK 紅白歌合戦」に初出場。その 2003年の『鳥取砂丘』から、昨年末、2023年の『日向岬』まで、「NHK 紅白歌合戦」には、21年 連続して出場中で、もはや、演歌・歌謡曲の世界にとどまらず、「ご当地ソングの女王」として国民的な歌手になった。

 

 にも関わらず、水森かおり は、テレビで見るそのままのイメージの人だ。明るく、飾らず、気取りなく、フレンドリーで、キュートだ。後輩歌手にも、緊張感を与えることなく接することができるような人でもあるから、歌手仲間でも、スタッフでも、誰からも愛される。

 

 歌手デビュー 29年目となる今年、2024年 1月23日に発売された、通算 34作目となる最新曲『三陸挽歌』は、10作目の『東尋坊』以降、『笑顔でいようね』(2021年)や『しぶさわくんの唄』(2022年)というイレギュラーなシングルを除き、23作連続で作曲を担当している 弦哲也 によるものだが、これまでの 水森かおり のイメージには全くなかった曲調だ。マイナー調のミディアムテンポの『三陸挽歌』は、イントロから、まるで 北島三郎 の曲のような雰囲気だ。歌詞も、「海の男(漁師)を待つ女性」が主人公で、これもまた新鮮だ。

 

 その張った高い声が印象的で、これまでのシングル曲でも、たとえば、『鳥取砂丘』や『瀬戸内 小豆島』のように低いところから入る曲もないわけではないが、どちらかといえば、『五能線』『松島紀行』『鳴子峡』『早鞆ノ瀬戸』『日向岬』など、その高い声の魅力を生かした、高い音から入る曲が多い印象がある。

 

 しかし、実は、低い方の響きも魅力的だ。最新曲『三陸挽歌』も、水森かおり らしい サビの張った高い声、「♪私はひとり〜」や「♪波に砕け散る〜」の部分が魅力的で耳に残るが、Aメロの出だし「♪雪になるよと 海猫が  ひと声 鳴いて 巣に帰る」の低い方から入る歌声もいい。ゾクゾクするような響きでグッとくる。

 

 最新シングル『三陸挽歌』は、タイプ A と タイプ B という、カップリング曲とジャケット違いの 2形態での発売となり、それぞれ、タイプ A には『北上川旅情』、タイプ B には『龍泉洞』と、タイトル曲の『三陸挽歌』と合わせて、岩手県を舞台にした 3曲が収録されている。

 

 水森かおり が、これまで歌ってきた、いわゆる「ご当地ソング」は、1999年に発売された 7作目のシングル『竜飛岬』から今回の最新シングルまでで、シングルのカップリングやアルバム曲を含め、1都 1道 2府 41県を網羅し、合わせて 156曲(2024年 1月 現在)にもなる。

 

 だが、最初から「ご当地ソングの女王」を目指して、「ご当地ソング・シリーズ」が始まったわけではない。倍賞千恵子 や 菅原洋一 が歌った『忘れな草をあなたに』や、三橋美智也 の『鳴門海峡』、天童よしみ『あんたの花道』、橋幸夫『盆ダンス』などで知られ、水森かおり の初期の一連のヒット曲、『東尋坊』『鳥取砂丘』『釧路湿原』『五能線』『熊野古道』『輪島朝市』を作詞した、作詞家の 故・木下龍太郎 が、そのきっかけを作ったようだ。

 

 そして、水森かおり と聞いて、まず最初に思い浮かぶのは、なにより、その笑顔だ。たとえば、『松島紀行』や『日向岬』などや、カバー曲などでも、メジャー調の明るい歌を歌う時、とにかく楽しそうに歌う。まるで、歌好きの少女のように、屈託のない子供のような笑顔を見せる。たとえば、マイナー調の『鳥取砂丘』などでも、歌い終わってアウトロ(後奏)が終わった最後に、実にいい笑顔を見せてくれる。

 

 たとえば、公開収録や公開生放送の音楽番組などで、複数の歌手でメジャー調アップテンポの曲を歌う時など、本当に満面の笑みで、一番、楽しそうに見える。その楽しそうな笑顔を見ているだけで、こちらもなんだか楽しい気分になってくる。実際、水森かおり も「歌っているときは本当に楽しい」と話しているように、それが伝わる。

 

 昨年、2023年のデビュー記念日、2023年 9月25日に、地元である東京都北区の「北とぴあ・さくらホール」にて開催されたコンサート『メモリアルコンサート ~歌謡紀行~』の模様を収録した DVD が、最新シングル『三陸挽歌』とともに、同日、2024年 1月23日に発売となっている。

 

 DVD には、デビュー曲の『おしろい花』から、『東尋坊』『鳥取砂丘』『釧路湿原』『五能線』『ひとり薩摩路』『安芸の宮島』『伊勢めぐり』『早鞆ノ瀬戸』『高遠 さくら路』『九十九里浜』『日向岬』などのヒット曲、さらに、『瀬戸の花嫁』『ブルー・ライト・ヨコハマ』『下町の太陽』『北国行きで』『東京ブギウギ』『真夜中のドア ~Stay With Me』……など歌謡曲やポップスの名曲カバーまで、全27曲が収録されていて、魅力的な歌声とともに、元気になれる笑顔にも出会える。

 

 20歳まで、歌手になるつもりはなかったが、水森かおり は、まさに、歌うために生まれて来たような人だ。

 

 

<もくじ>

1 これまでなかった曲調の新曲『三陸挽歌』

  〜「ちょっと泣いちゃいましたね…」〜

 

2 まるで金管楽器のような特徴的な歌声

  〜「自分では、あんまり特徴のない声だな〜って…」〜

 

3 全く違うタイプのカップリング曲 2曲も 弦哲也 が作曲 

  〜「私は恩人だと思っています…」〜

 

4 小学生のころは「ちびっ子のど自慢」荒らし

  〜「刺激的だったんですかね、子供ながらに…」〜

 

5 アメリカ留学がきっかけで、歌手を目指す

  〜「フタしてた気持ちが、そこではじけた感じ…」〜

 

6 歌手デビューはしたものの、一時はクビになりかけた

  〜「先が見えないっていうか…」〜

 

7 10作目の『東尋坊』がターニングポイント、『鳥取砂丘』で紅白に初出場

  〜「お客さんの反応が今までと全然ちがって…」〜

 

8 「ご当地ソングの女王」誕生のきっかけ 

  〜「そういう待ち方をしてくださってるんだ…」〜

 

9 常に10年先を楽しみに生きる

  〜「目標を立ててやるタイプじゃないんですよ…」〜

 

 

 

1 これまでなかった曲調の新曲『三陸挽歌』 〜「ちょっと泣いちゃいましたね…」〜

 

 

ーー 歌手デビュー 29年目となる今年、2024年 1月23日に発売された、通算34作目となる最新曲『三陸挽歌』(作詞:たきのえいじ / 作曲:弦 哲也 / 編曲:伊戸のりお)は、マイナー調のミディアムテンポで、これまでの 水森かおり のイメージには全くなかった曲調だ。まるで、男性歌手が歌う男歌のような曲で、また新たな 水森かおり の魅力が引き出されたように感じる。歌詞の世界も、「海の男(漁師)を待つ女性」が主人公で、これもまた新鮮だ。

 

水森: ホントですか〜? うれしい〜。そうですね、こういう世界は初めてですね〜。イントロもそうですけど、前奏を聴いて、歌い出すまで、水森かおり の歌だと思わない方も多いかもしれないですね。

 

ーー たしかに、イントロから、たとえば、北島三郎 の『漁歌』でも始まりそうな、「海の男」を感じさせる雰囲気のサウンドになっている。

 

水森: そう〜! チョッパー(指で弦を弾くエレキベースの演奏法)が効いてるんで、ベースさんとドラムさんは、今回、楽しいんじゃないかと思って……。とはいえ、いつもの「旅歌」なので……、そういう「見送って待っている」っていう人たちを見て、愛の深さを実感して、「でも、私はひとり」っていうそういう歌なので……。でも、目線の切り口っていうか、そこが、ちょっと今までと違う感じですね。

 

ーー 『三陸挽歌』の作曲は、10作目の『東尋坊』以降、『笑顔でいようね』(2021年)や『しぶさわくんの唄』(2022年)というイレギュラーなシングルを除き、23作連続で作曲を担当している 弦哲也 によるもの。一度、聴けば耳に残って離れない印象的なサビの「♪ザン ザザザン」で、男性コーラス部分を歌っているのも 弦哲也 だ。

 

水森: はい、そうです、そうです。私がお願いしました、それも、オケ録りの当日に。先生のデモテープのように(カラオケ録音用の)仮歌を歌ったんですけど、私の歌に合わせて先生も歌ってくださっていて、「♪ザン ザザザン」て聴いたときに、「あっ、すごくいいな」って思って、すごい印象に残ったので、「これ、もしかして、そういう男の人の声でコーラスでが一緒に入ってたら、かっこいいんじゃないかな」と思ったんです。でも、やっぱり、(弦哲也は)すごい先生だから、そんなね〜、「いいよ」って言ってくれると思わなかったんですけど、でも「もしかしたら」と思ってお願いしてみたんです。

 

ーー 『おゆき』(内藤国雄)、『天城越え』『夫婦善哉』(石川さゆり)、『北の旅人』(石原裕次郎)、『二輪草』『ふたり酒』(川中美幸)など、水森かおり の他にも数々のヒット曲で知られる作曲家の 弦哲也 は、もともと、田村進二 という芸名で、歌手デビューしている。その後、北島三郎 のバックバンドでギターを担当したことがきっかけで、北島三郎 から勧められて作曲家に転身した。しかし、現在も、作曲家として活動しながら、自身が歌う曲もリリースしており、昨年、2023年 5月には、最新シングル『五島(しま)の母ちゃん』が発売されるなど、歌手としての一面も持っている。

 

水森: そうです、そうです。ご自分でも歌われるし、あと、いろんな人の歌……、作曲されているその歌手の方のコーラスで、結構、入ってるんですよ。「あっ、これ(弦哲也)先生の声だ!」っていうのは結構あったので、「いつか先生にコーラス入れてもらいたい」って、夢だったんですよ。

 

水森: でも、こういう(『三陸挽歌』のような)世界観の曲が今までなかったので、その男性コーラスっていうのが合うような歌じゃなかったから、今までは実現しませんでしたけど、今回、「先生……、これ、"♪ザン ザザザン" って歌っていただくのってどうですかね?」とか言ったら、「はっはっはっ」とか言って笑ってて、「う〜ん……」とか言いながらも、カバンからアメを出して舐めだしたので……(笑)、「あっ、やる気まんまんだ!」「うれしい!」って思って……(笑)。

 

ーー 今回の『三陸挽歌』では、タイプ A と タイプ B それぞれのカップリング曲を含め 3曲とも岩手県が舞台のご当地ソングになっている。どこの土地(ご当地)を歌うのかは、ディレクターと作詞家が相談して決めているようだ。

 

水森: はい、そうですね。なので、その土地に関しては、決まってからしかわからないですね。その過程……、(歌う)土地とか、どういう雰囲気っていうのは、私はわからない段階で、多分、ディレクターさんから作詞の先生に行って、それで、弦(哲也)先生に行くんだと思うんですけども……。

 

水森: で、ここ数年ですけど、ディレクターさんと私とで、「今回、こういう世界だから、次、来年はどうしようかね?」みたいなところで、なんとなく……。でも、私が具体的にどうこうっていうよりも、何か「こういう感じはどうですか?」とかみんなでアイディアを出し合いながら、ディレクターさんがイメージしたものを、多分、作詞の先生に伝えて、で、また、弦(哲也)先生にも、「こういう世界で、この詞ができました」っていうことで、弦(哲也)先生もそれを把握しながら作っていくんだと思います。

 

水森: でも、弦(哲也)先生は、だいたい、(ひとつの詞に)2パターン、3パターン(メロディを)作ってくれて、いつも、2種類、3種類のデモ音源が送られてくるんです。で、実際に、(弦哲也)先生のところに行って、先生のギターで歌わせていただきながら、「こっちの方がいいね」みたいな、そういう感じで決めてますね。

 

ーー ということは、今回の『三陸挽歌』にも、他のメロディもあったということだ。

 

水森: はい、ありました。でも、(別パターンの曲は)もうちょっとテンポはゆっくりでしたね。でも、また、アレンジが入ってくると、全然、変わっちゃいますからね。

 

ーー 『三陸挽歌』は、2ハーフしかなく、すぐ終わってしまう感じもする。

 

水森: あっ、そうですね。でも(前作の)『日向岬』よりは長いですよ。『日向岬』は、もうホント、サビしかないから。



2 まるで金管楽器のような特徴的な歌声 〜「自分では、あんまり特徴のない声だな〜って…」〜

 

 

ーー 歌録りのレコーディング前は、歌い込んで作り上げる方なのだろうか?

 

水森: そうですね〜。あの、『東尋坊』(2002年)とか『鳥取砂丘』(2003年)のときは、ホント、毎日のように(弦哲也)先生のところにレッスンに行って、「歌を自分の体になじませて」ってやってたんですけど、もうここ数年は、逆に、先生が、「かおりちゃん、どっちがいい?」みたいに聞いてくださったりとか、私が「こういうのどうですか?」って言ったりとか、みんなで作り上げていくような感じではあるんですけど……。レッスンというか、その打ち合わせで、それももう 1回ぐらいですかね。そんなに行くことはないですね。

 

ーー 歌録りのレコーディング前に、歌い込んで作り上げてしまうと、実際のレコーディングの時に、「こうしてみようか」ということになっても融通がきかなくなることにもなり、自由度がなくなることもある。だから、あえて、レコーディング前は、あまり練習したり、歌い込まないようにする歌手も少なくない。

 

水森: あっ、私、そういうタイプです。で、レコーディングで歌ってみて、なんか……、新鮮でした。歌の世界が、これまであんまりない、どっちかというと「かっこいいな」っていう印象なので。そうですね、だから、どんどんアイディアが……。あの……、アレンジの 伊戸のりお 先生とも「こういうのはどう?」って打ち合わせしながらやってたんですけど、で、「尺八がが欲しい」って言ったのは、私なんです。そしたら、本物の……、北島(三郎)さんでも吹いていらっしゃる 田中 彰 さんが来てくださって、本物が来てくださって……(笑)、ちょっと、びっくりしたんですけど……(笑)、はい、うれしかったです。

 

ーー 歌録りのレコーディングでは、自然と気持ちが入ったと言う。

 

水森: そうですね〜、なんとなく、こう自然とキリッとしましたね、自分の中で。あと、「♪命を見送る」とか「♪命を待ってる」とか、ちょっとグッとくる言葉があって、それが、メロディとかアレンジとかで……、私、オケ録りの(仮歌を歌った)ときに、ちょっとね、ウルッときました。だから、感動したのと、なんかグッときて、ちょっと泣いちゃいましたね。あんまり今までなかったんですけどね。

 

ーー たしかに、そういう、歌った時にグッとくる言葉というものがある。今回、『三陸挽歌』を作詞した たきのえいじ は、これまでにも、水森かおり の 25作目のシングル『早鞆ノ瀬戸(はやとものせと)』(2017年)、28作目のシングル『瀬戸内 小豆島』でも作詞を担当しているが、それらとは全く違う世界になっている。

 

水森: はい、そうですね。やっぱり、三陸だから、東日本大震災でも大きな被害を受けたところだし、やっぱりそういうね、皆さん命がけで今も生きてらっしゃるから、そういうところで「見送る」とか「待ってる」っていうのが、なにかまたグッときてしまいますね。

 

ーー Aメロの「♪雪になるよと 海猫が  ひと声 鳴いて 巣に帰る」と、低い方から入るのも新鮮で、その歌声の響きがいい。

 

水森: あ〜、ありがとうございます。

 

ーー これまでの 水森かおり のシングル曲では、たとえば、『鳥取砂丘』や『瀬戸内 小豆島』のように、低いところから入る曲もあるが、どちらかといえば、『五能線』『松島紀行』『鳴子峡』『早鞆ノ瀬戸』『日向岬』など、その高い声の魅力を生かして、いきなり高いところから歌い出す曲のイメージがある。

 

水森: あっ、はいはい……、いきなりね。

 

ーー もちろん、今回の『三陸挽歌』でも、サビの「♪私はひとり〜」「♪もう帰れない〜」や、サビの最後の「♪波に砕け散る」「♪胸の港には」「♪海に捨てて行く」の、高い音で張って伸ばすところで、水森かおり らしい魅力的な声が聴ける。

 

水森: あ〜、うれしい、ありがとうございます。

 

ーー 水森かおりは、とにかく歌声が特徴的で、魅力的だ。響きのトーンが明るく、言葉がクリアだから、歌詞がはっきりと聴こえる。低いの方のモワッとした部分がなく、スカーンと抜ける高音のトーンは、木管楽器のような響きが一般的な日本人には珍しく、欧米の歌手の多くのように、金管楽器のような、きらびやかな響き方、鳴り方をする。そういう歌声の歌手は、井上陽水、美川憲一、山内惠介、女性歌手なら、坂本冬美くらいしかいないと思う。

 

水森: え〜っ……、私、自分では、あんまり特徴のない声だな〜って思ってます〜。

 

ーー ものすごく特徴的な歌声だと思う。たとえば、街で耳にすれば、そうと言われなくても、すぐにわかる。

 

水森: え〜っ、ホントですか〜! え〜っ……。ああ…、うれしいです。自分では「特徴のない声」って思ってました……。



3 全く違うタイプのカップリング曲 2曲も 弦哲也 が作曲  〜「私は恩人だと思っています…」〜

 

 

ーー 最新シングル『三陸挽歌』は、タイプ A と タイプ B という、カップリング曲とジャケット違いの 2形態での発売となり、それぞれ、タイプ A には『北上川旅情』、タイプ B には『龍泉洞』と、タイトル曲の『三陸挽歌』と合わせて、岩手県を舞台にした 3曲が収録されている。いずれのカップリング曲も、タイトル曲の『三陸挽歌』とは、全く違った曲調だ。

 

水森: そうですね〜。今回、全部、弦(哲也)先生なんですけど、ホント、三者三様ですね。

 

ーー タイプ A のカップリング曲『北上川旅情』(作詞:さくらちさと / 作曲:弦 哲也 / 編曲:竹内弘一)は、メジャー調で始まり、Bメロで一旦マイナー調になるが、サビでは、またメジャー調に戻るという、ゆったりした曲。さわやかで、のどかな雰囲気だ。サビもいいが、Aメロの「♪かなしみ 何処(どこ)に 捨てたらいいの 春まだ浅い 旅の空」の部分の語るような歌唱が魅力的だ。

 

水森: あっ、ありがとうございます。これもね、やっぱり 弦(哲也)先生の世界なんですよね。なんかこう「綺麗な世界」というか。

 

ーー 派手ではないが、風景も見えて、心に沁みる曲だ。

 

水森: はい、そうですね〜。ちょっとフォーク調というか。

 

ーー タイプ B のカップリング曲『龍泉洞』(作詞:麻こよみ / 作曲:弦 哲也 / 編曲:竹内弘一)も、メジャー調のゆったりした曲。言葉が耳に残るシンプルな切ない歌だ。

 

水森: 龍泉洞は、私、修学旅行で行きました。「あ〜、あそこか!」と思って……、たしかに、綺麗なところでした。

 

ーー 歌い出しの「♪やっぱりあなたを許せない」が、聴いた時に強烈で、耳に残って離れない。

 

水森: はははは……(笑)、そうですよね〜。(「やっぱりあなたを許せない」)なのに、メジャー(調)の「ほのぼの演歌」みたいな感じですよね……(笑)、ふふふ……(笑)。

 

ーー 切ない歌なのにメジャー調というところが、さらに切なさを感じさせる。表現が適当ではないかもしれないが、インパクトのある歌詞は、ある意味「痛い詞」だ。

 

水森: あはははは……(笑)、そうですね……(笑)、うんうん……。なんか、これは、本当にオーソドックスな、なんでしょうね……、詞の世界は全然真逆ですけど、弦(哲也)先生の世界で言うと『ふたり酒』(川中美幸)とか、ああいうちょっとなんか「ほのぼのとしたもの」っていう感じのメロディだったので、オーソドックスな世界ですけど、自分の中ではあんまりないので、すごく新鮮な感じで、本当、演歌っぽい感じのメロディで楽しかったです。

 

ーー 弦哲也は、10作目、2002年の『東尋坊』(作詞:木下龍太郎)以降、翌 2003年の紅白初出場曲『鳥取砂丘』(作詞:木下龍太郎)、『釧路湿原』(作詞:木下龍太郎、2004年)、『五能線』(作詞:木下龍太郎、2005年)、『ひとり薩摩路』(作詞:下地亜記子、2007年)、『安芸の宮島』(作詞:仁井谷俊也、2009年)、『松島紀行』(作詞:たかたかし、2010年)、『伊勢めぐり』(作詞:田久保真見、2013年)、『早鞆ノ瀬戸』(作詞:たきのえいじ、2017年)、『高遠 さくら路』(作詞:伊藤薫、2019年)、『鳴子峡』(作詞:かず翼、2021年)、『九十九里浜』(作詞:麻こよみ、2022年)、『日向岬』(作詞:かず翼、2023年)……など、イレギュラーなシングルを除いた 23作連続で作曲を担当している。つまり、2002年から、今年、2024年まで、実に 22年にもわたって、水森かおり のシングル曲を途切れることなく書いているということだ。

 

ーー 実は、水森かおり は、デビューのずっと前から、弦哲也のことを知っていた。

 

水森: あっ、そうです。ウチと同じ(東京都)北区の町内会で、私が、もう小さい頃から知ってました。

 

ーー 家が近所で、水森かおり の父親とは、飲み友達だったようだ。

 

水森: そうです。ウチの裏にスナックがあって、私も行ってましたけど、そこによく近所のおじちゃんたちが、夜、集まって飲んでるってところに、(弦哲也)先生も行きつけだったんですよ。で、当時は、まだ(弦哲也が)歌手の時代だったので、まだお金もなくて、会うと、「弦ちゃん、今日どうだった?」ってうちの父が聞いて、「いや〜ダメですね〜」みたいなこと言うと、「"まあ飲めよ〜" みたいな感じでビールをよくご馳走してもらった」って(弦哲也)先生が言ってました。

 

ーー 弦哲也は、水森かおり の父親のことを、のちに「恩人だ」とまで言っている。しかし、水森かおり のデビューに、弦哲也は全く関わっていなかったし、デビューしてから、6作目のシングル『ひとり泣き』(作詞:麻こよみ、1999年)の作曲を担当するまでは、とくに音楽的な関わりもなかった。

 

水森: そうですね〜。知ってたけど、「レッスンに行ってた」とか、それ以上の関係はなかったんです。本当に、「近所の父の飲み友達」っていう感じで、「今日、弦ちゃん、来てたよ〜」「へえ〜、そうなんだ〜」みたいな。で、「すごいね、(川中美幸の)『ふたり酒』(作曲したのが)弦ちゃんだね〜」「すごい有名になっちゃったね〜、よかったね〜」とか、みんなで言ってました。

 

水森: でも、(水森かおりの)デビューが決まったときは、CD を持って、父と一緒に(弦哲也)先生のところに行きました。「こういう経緯でデビューが決まって」って、ご挨拶行ったんです。で、それでも、別に、私も、レコード会社とか事務所に、「弦(哲也)先生とは昔から知り合いなんですよ」なんて言ってなかったし、別に言うことでもなかったから。

 

水森: で、もともと、私の父の娘は、ふたりとも歌を、演歌を歌ってるっていうことは知ってて、で、お姉ちゃんの歌を聴いて、(弦哲也)先生は、すごく姉を歌手にさせたかったんです。なんですけど……、「大出さん(水森かおりの本名:大出 弓紀子 おおでゆきこ)ちの娘さんがデビューしたって聞いたから、お姉ちゃんだと思ってたら、まさかの妹だった」っていう……、はははは……(笑)。 

 

ーー 演歌歌手の場合、作曲家の弟子であることが多く、その師匠である作曲家が書いた曲をシングル曲として歌うことが一般的だ。しかし、水森かおり の場合、10作目、2002年の『東尋坊』以降、弦哲也が、イレギュラーなシングルを除いた全てのシングル曲を作曲してはいるものの、弦哲也の門下生ではない。

 

水森: はい、内弟子とかでもないですし、レッスンっていうのも、「曲をいただいたからレッスンに行った」っていうのはありますけど……、はい、そうなんですよ。でも、私は恩人だと思っています。



4 小学生のころは「ちびっ子のど自慢」荒らし 〜「刺激的だったんですかね、子供ながらに…」〜

 

 

ーー 東京の北区に生まれた 水森かおり は、子供のころから歌が好きだった。

 

水森: えっと……、初めて歌ったのは、森昌子さんの『せんせい』……、やっぱり歌謡曲ですよね。で、自分の意思で初めて買ったのは、松田聖子さんのレコードでした、はい、『風は秋色』……、「ジャケ買い」ですね、今で言う……(笑)。

 

ーー 「光GENJI」の 諸星和己 も好きだった。

 

水森: はい、小学校 1年生で、「たのきんトリオ」の マッチ(近藤真彦)に目覚めまして、マッチから、「シブがき隊」「少年隊」「光GENJI」っていう、当時の女の子たちの、よくあるそういう流れで……(笑)。

 

ーー 子供のころから演歌・歌謡曲が好きだったが、普通に、そういう流行りのものも聴いていた。

 

水森: そうです、そうです。ただ、姉が 7歳上なので、ちょっともう世代が違うから……、姉は、もう洋楽とか聴いてるわけですよ……。それこそ、ヘビメタの「モトリー・クルー」とか、「ボン・ジョヴィ」とか、そういうの聴いてたんで、なんか漏れ聴こえてくるのを聴いて、「かっこいい」なみたいな……。

 

水森: でも、姉も、アイドルも聴いてたし、演歌・歌謡曲も歌ってました。みんな……、家族全員、歌が好きだったので、昔は、よく歌番組でも、オール・ジャンルで出てましたからね。もう、とにかく、そういう歌を歌うことが好きな家族だったので、本当、いろんな歌を聴いてましたね。

 

ーー 4〜5歳のころからは、テレビの「ちびっ子のど自慢」に出場し、人前で歌っていたという。小学生のころには、当時、いくつもあったテレビの「ちびっ子のど自慢」番組やコーナー、『ちびっ子歌謡日本一』『ちびっ子ものまね歌合戦』などに出場し、数多くの大会で優勝。「ちびっ子のど自慢」荒らし とまで言われるくらい有名だった。

 

水森: そうですね〜、もう、物心がついた頃から、気がついたら出てたんで、いつから出てたかは、ちょっとよくわからないです。多分、最初は、母親が応募したんだと思います。で、姉も出てたんですって。大村崑さんの『こんちゃんのトンカチうたじまん』(日本テレビ『おはよう!こどもショー』のコーナー、1971年〜)に、姉がよく出たことがあったのかなぁ〜……。

 

水森: で、多分、母が、そういうのに応募して、オーディションに行くんだけど、でも、いつも姉は受からなくて、落ちちゃうらしいんですよ。あれって 6年生までしか出られないから、だからもう、「なんか、もうかわいそうだから……、妹に……」って、なんか今度は私がバトンタッチで行くようになったら……(笑)、私は、結構、バンバン出ててっていう……(笑)。

 

ーー 母親は、なぜ、水森かおり を出させたのだろうか? 

 

水森: なんですかね〜? なんか、別に「自分が歌手になりたかったから」とかそういうことじゃなくて、なんか楽しそうだったんじゃないですかね、きっと。

 

ーー 当時、水森かおり 自身も、とくに歌手になりたいとも思っていなかった。

 

水森: はい、全然、全然。母から「歌手にさせたい」とか言われたこともないし。

 

ーー テレビの「ちびっ子のど自慢」では、多くの大会で優勝していたが、とくにレッスンなどに通っていたわけではなかった。

 

水森: そう、父が教えてくれてました。あの……、(曲を)見つけるのは、母だったんですよ……、「都はるみがこういう新曲を出したらしい」とかってカセット(テープ)を買ってきて聴いて、「ああ、なんか、今度、これをオーディションで歌おう」みたいな感じで。で、父に「ここは、こう歌え」みたいにレッスンしてもらってっていう感じです。でも、父も独学ですけどね。

 

ーー 父が審査員がわりだった。

 

水森: そうです、そうです。『愛の終着駅』(八代亜紀)、『越冬つばめ』(森昌子)、『細雪』(五木ひろし)、『矢切の渡し』(ちあきなおみ、細川たかし)、『とまり木』(小林幸子)、『夫婦船』(三笠優子)、『浮草ぐらし』(都はるみ)……とか、歌ってましたね。『愛の終着駅』は、私、幼稚園時代の勝負曲だったんですよ……(笑)。

 

ーー 小学生にも関わらず、そういう演歌・歌謡曲が好きだった。

 

水森: 好きでしたね〜。

 

ーー しかし、それでは、小学校の友達とは話が合わない。

 

水森: あ〜、ぜんぜん、ぜんぜん。でも、むしろ、(演歌・歌謡曲も好きなことを)隠してましたから。まあ、(テレビの「ちびっ子のど自慢」に)出てるから、みんなも、わかってるんですけどね。だから、「あの子(水森かおり)は演歌が上手」みたいな、そういう認識……。でも、みんなで、「きのう "ヤンスタ" (テレビ東京『ヤンヤン歌うスタジオ』)見た?」みたいな、そういう普通に話とかもして、やってましたね。普通に、松田聖子さんも好きだったし、(中森)明菜ちゃんとかも好きだったし。

 

ーー 小学校 6年生のとき、TBSテレビ『GOGO!サンデー』の『ちびっこ歌謡日本一』チャンピオン大会で優勝し、商品としてオーストラリア旅行をもらった(この時の様子は、水森かおり の YouTube で見ることができる)。小学生のころ、何回くらい出場して、何回くらい優勝したのだろうか?

 

水森: え〜っ……、もう、数えられないくらいですよ〜。何回くらい出たかわかんないです。でも、あれ(『ちびっこ歌謡日本一』)って、1クール(3ヶ月)に 1回なので、年に 4回。で、最後が年末にチャンピオン大会なんですけど、でも、その他にもテレビ各局にあったので、ホント、いろいろ出てましたね。

 

ーー 50〜60回くらいだろうか?

 

水森: あ〜、出てたと思いますよ。

 

ーー 当時、そういう番組では、北山たけし、島津亜矢、市川由紀乃、服部浩子、夏川りみ、「テツandトモ」のテツ(中本哲也、赤いジャージの方)らとも、よく一緒になることが多かった。

 

水森: そうです、そうです。

 

ーー 小学生のころの話にも関わらず、その当時のことをよく覚えている。歌手デビューした後、北島三郎 の付き人をしていた 北山たけし と出会った時には、「渡辺くん(北山たけしの本名)だよね?」と話しかけ、2003年の紅白で、「テツandトモ」のテツと出演者として再会した時にも、「中本くん(テツの本名)だよね?」といったように、名前まで覚えていた。

 

水森: 覚えてますね〜、すごい覚えてます〜、そこらへんは、めっちゃ鮮明に……。なんでしょうね……、やっぱり、刺激的だったんですかね、子供ながらに……、ちょっと、非現実的と言うか。かと言って、やっぱり、「歌手になりたい」とかって出てた子とかもいると思うんですけど、私は、全然……、「ただ ただ 楽しい」っていう……、うん。緊張するけど、なんか「それもまた楽しい」みたいな。



5 アメリカ留学がきっかけで、歌手を目指す 〜「フタしてた気持ちが、そこではじけた感じ…」〜

 

 

ーー 高校生になると、洋楽も聴くようになった。

 

水森: あ〜、はい。中学生の頃は、やっぱり、まだ、「光GENJI」とか「SMAP」とか聴いてましたけど、高校生になると、「New Kids On The Block」(ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック)に目覚めるわけですね〜、洋楽に。

 

ーー 「New Kids On The Block」(ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック)のミュージックビデオを見て、メンバーのひとり、ジョー・マッキンタイヤーにひと目惚れして好きになったと言う。

 

水森: はい、そうです……(笑)。あっ、でも、普通に、「ユニコーン」とか「プリプリ」(Princess Princess)とかも聴いてたし、あと、「Wink」(ウィンク)とかね、いわゆる、当時の流行っているものも聴いていたし、歌ってました。

 

ーー もちろん、演歌・歌謡曲も聴いていた。

 

水森: はい、好きで聴いてました。そうなってくると、もう(坂本)冬美さんとか……、そういう時代になります。いろいろ聴いてましたけど……、鮮明に覚えているのは……、やっぱり(坂本)冬美さんですかね〜、結構、歌ってました。

 

ーー 水森かおり は、同じく、北区出身のバンド「エレファントカシマシ」のボーカル、宮本浩次 の大ファンであることも知られている。ファンクラブに入っていたこともあり、歌手デビューしたあとに、公開収録に自分で応募して見に行ったこともあるくらいだ。

 

水森: はい、そうです。でも、エレカシ(エレファントカシマシ)は、もうちょっと大人になってからですね。

 

ーー 「New Kids On The Block」(ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック)の影響で、英語に興味を持ち、高校卒業後は、国際秘書を目指して短大に進学し、短大在学中にアメリカ留学も経験した。

 

水森: えっと、3ヶ月だけなんですけど、行ってた短大と提携しているところで、留学コースだったので、そこで単位も取れるみたいな。だから、そういうところ(短大)を探して行ったんですよ。留学は、リバーサイド(Riverside)っていう、ロス(Los Angeles)から 1時間くらい行ったところの、ちっちゃい町に行きました。楽しかったです〜。今、思えば、もっとちゃんと勉強しておけば良かったなって思いますけど……(笑)。

 

ーー 留学中、ホストファミリーの前で、「赤鼻のトナカイ」を歌ったことがあった。

 

水森: はい、日本語で……(笑)。でも、みんな、泣いて喜んでくれました。

 

ーー そのことがきっかけで、歌手になりたいと思うようになった。

 

水森: あ、そうです、そうです。でも、その時は、「歌手になろう」っていうよりは、「歌ってすごいな」って思ったんですよね。あと、その、「自分の歌で、こんなに感動して、目の前で泣いてくれた」っていうそれに感動して、「あ、やっぱり、歌ってすごいな」っていう……。で、もともと歌うことが好きだったし、(心の)どっかで「歌手になりたいな」っていう漠然とした思いはあったんですけど……、「歌を将来も歌っていたいな、それを職業として」っていう。でも、「そんな簡単にね、なれるものでもないし……」って思ってて、「じゃあ、現実的な道を……」っていうことで、「じゃあ、秘書になろう」と思ったんです。なので、何となくフタしてた気持ちが、そこではじけた感じですね。

 

ーー それからは、行動が早かった。留学からの帰国後、すぐに「山川豊の妹分コンテスト」(1994年)というオーディションを受けた。山川豊 は、水森かおり の所属事務所「長良プロダクション」の先輩歌手だ。オーディションでは、大和さくら の『王将一代 小春しぐれ』を歌った。

 

水森: そうです。留学から帰ってきてすぐ……、「卒業する前」みたいな時です……、ハタチの時かな……。

 

ーー そのオーディションで合格はしなかったが、その時、現在の所属事務所「長良プロダクション」の前会長 長良じゅん から声をかけられた。

 

水森: はい。(オーディションの)スタジオを出た時に、多分、事務所の人だと思うんですけど、「ちょっといいですか?」って言われて、またスタジオに戻されて、そしたら、そこに(長良じゅん)会長が審査員で座ってらっしゃって、「キミ、今回はこういう結果だったけど……。でも、本当にキミがやりたいんだったらレッスンしてみる? いつデビューできるかわかんないけど」って(長良じゅん)会長に言われて、「えっ!」って思って、「お願いします」って言って……、そこからですね。

 

ーー 初めて受けたオーディション、ただ一度のオーディションで、歌手への道が出来たということだ。運も実力もなければ、なかなかそんなことにはならない。

 

水森: はい、唯一、それだけです。

 

ーー そして、短大を卒業し、事務所を手伝いながら、レッスンに通うことになった。

 

水森: はい、スタッフとして働きながら。(長良じゅん)会長から言われて、森川 龍 先生のレッスン……、私のデビュー曲の『おしろい花』を作曲してくれた先生なんですけど、その方に、「レッスンしてやってくれ」って「預ける」というか……。で、その先生のところに通いながら、月金で、事務所に行って、デスクで……、デスクって言うよりお手伝いですね。

 

ーー その後も早かった。約2年で、歌手デビューすることができた。

 

水森: そうですね〜、今、思えば早いですね〜。もう、当時は、長かったけど〜……。だって、確約されてるわけじゃないじゃないですか。いや〜、不安でした。だって、もう、ドア開けるのも怖くて……、「もう無理だから、来なくていいよ」って言われるか、今日こそ「デビューが決まったよ」って言ってもらえるかもしれないっていう、期待と不安で……。その頃、短大の時の友達は、もう OL を満喫しててね〜、お給料をもらったりしてるわけですよ〜。

 

ーー 歌手デビューは、デビューの前の年に知らされた。

 

水森: 事務所で私を担当っていうか、面倒みてくれてマネージャーみたいなことをしてくれてた人が(デビューだよと)言ってくれましたね。1995年に、地震(阪神・淡路大震災)があったから、その前の年だったので、月までは覚えていませんけど、1994年の(デビュー)1年くらい前に、「来年、デビューだから」って言われました。で、「まだ、はっきりとはわからないけど、(レコード会社は)徳間ジャパンさんで決まったよ」って。

 

水森: いや〜、うれしかったです。「やった〜!」って思って、すごいうれしかったし……、なんか、あの……、ゴールみたいな感じでしたね。ホントは、スタートなんですけどね。よくね、結婚もそう言いますよね……、経験ないですけど……、はははは……(笑)。

 

水森: で、そこから準備期間と言うか、本格的に「どういう歌が合うか?」みたいな……、担当になったディレクターさんも来るようになって、歌を聴いてくれたりとか、アドバイスしてもらいながらレッスンしてたんですけど、でも、年明けに地震(阪神・淡路大震災)が起きて、「もしかしたら、それどころじゃないかも」みたいになって、で、3月には、サリンの事件があって、なんか、どんどん「あらら……」みたいな……。でも、そんな中、デビュー曲とかが出来てきて……、もう、そっからは、あれよあれよという間でしたね……、9月のデビューまで。



6 歌手デビューはしたものの、一時はクビになりかけた 〜「先が見えないっていうか…」〜

 

 

ーー そうして、1995年9月25日、22歳の時、シングル『おしろい花』(作詞:松井由利夫 / 作曲:森川龍)で、水森かおり は、歌手デビューした。「♪かわいい女で 夢見ていたい」という詞が耳に残るデビュー曲の『おしろい花』は、ヒットはしなかったが、今、聴いてもいい曲だ。

 

水森: いい曲です! 私、思います! 

 

ーー 2015年のデビュー20周年には、初期のシングル 10曲をボーカル新録音で収録したアルバム『うたいなおし』が発売されていて、この『おしろい花』も再レコーディングしている。

 

水森: はい、してますね〜。今、歌っても、すごく等身大のいい歌だな〜って思います。松井(由利夫)先生の詞がね、すごく素敵。

 

ーー しかし、デビューはしたものの、その後、6年くらいは、今のように曲がヒットすることはなかった。少なくとも、1999年 10月に発売された 7作目のシングル『竜飛岬』( 作詞:麻こよみ / 作曲:水森英夫)が、初めて「オリコン」演歌チャートで 1位を獲得するまでの 約4年間は、売れない日が続き、一時は、レコード会社をクビになりそうになったこともあった。

 

水森: えっと……、私がデビューしたぐらいのときから、だんだん、カラオケが盛んになってきたというか……、「昼カラ」とか「カラオケ喫茶」とか「カラオケができる居酒屋さん」とか、スナックとかキャバレーとかの時代のあとですね。だから、「カラオケ教室」とか「カラオケ喫茶」に行って、キャンペーンをするっていう……。それでも、デビュー当時は、「夜キャン」って言って、そういうスナックに行ったりとかもまだありましたけど、そういうのもやりながら、昼間は「カラオケ教室」にも行ったりとかして、「そこの先生が、今月のレッスン曲に『おしろい花』を選んだので、キャンペーン行きましょう」みたいな感じでした。

 

水森: そういうのを、レコード屋さんを通じて、1日に何軒も行ったりとかっていうキャンペーンがあって、で、また、新曲を発売して、またそれと同じようにっていう繰り返しで……。でも、「どこまで、これが続くのかな……?」みたいな……、先が見えないっていうか……。

 

水森: お仕事が途切れることはないけども、ガーンっていきなり伸びることもないというか、なんか、そのサイクルが……、だいたいルーティーンみたいなのが決まってきて、「新曲を発売します」「ラジオ出ます」「取材を受けます」って……。で、テレビもね、やっぱり新人だし、今ほどそんな出られる番組もなかったから、新人でも出られる歌番組で収録して、キャンペーンやって、ちょっと落ち着くとまた仕事がなくって……。で、「また新曲」みたいな繰り返しで……。

 

水森: っていう感じだったので、で、4作目の『いのち花』(作詞:松井由利夫 / 作曲:森川龍、1997年8月 発売)のときに、ディレクターさんに、「この曲が最後かも……」みたいに言われて、で「ヤベ〜」ってなって……(笑)。

 

水森: だから、結構……、なんでしょうね……、自分の中で、やっぱり 2年、3年やってくると、慣れてくるというか、「まっ、こういうもんだし」みたいな、そういうちょっと「心の緩み」みたいのもあって、やっぱり「当たり前だ」というふうに思ってしまったというか……、うん。なんか、ね……、「また、カラオケ教室でしょ」みたいな……。

 

水森: でもね、本当は、それって、ひとつひとつが大事なんだけど、今、思うと、やっぱり、ちょっとそれが当たり前のように思ってしまっていて、そういう自分の環境に慣れすぎてしまって、だれてしまったみたいな時はあって、そこが、ちょうど、その、結構、ピンチの時でしたね。

 

水森: それで、「『いのち花』が最後だ」ってなって、「あっ、もう、絶対に頑張ろう」って気持ちをあらためたのが『かりそめの花』(作詞:麻こよみ / 作曲:徳久広司、1998年3月発売、5作目)だったんですよ。で、このときに、『NHK 歌謡コンサート』(現在の『うたコン』)で歌ったんですよ。その前にも(デビュー曲の)『おしろい花』の時には出てたんですけど……、(3枚目の)『北夜行』のときも……、出てないなぁ……。

 

水森: そしたら、その『かりそめの花』で『歌謡コンサート』に出た時、すごい反響で……。で、昔は、スゴかったじゃないですか、翌日のデイリーとかのバックオーダーが……、それがスゴかったんですよ。

 

ーー 当時は、今よりも、テレビの歌番組の影響力が大きく、音楽番組出演の翌日には、レコード店に注文が殺到したりもしていた。レコード店もそれを見越して、番組出演の翌日、店頭に、レコードや CDが並ぶように準備していた。

 

水森: そうですね〜。で、キャンペーンに行くと、「この間『歌謡コンサート』見たよ〜」とか言われて、それで、自分の中でも、なんとなく手応えを感じて……。で、そこからまた『歌謡コンサート』に、今度はカバー曲で呼ばれるようになっていってっていう……。それが続いて、だんだん、「年に 1回しか出られなかったけど 2回出られた」とか、「3回 出られるようになった」とかってなっていったんですね。

 

水森: で、(7作目の)『竜飛岬』(1999年)で、初めて(オリコン)演歌チャートで 1位をいただんです。



7 10作目の『東尋坊』がターニングポイント、『鳥取砂丘』で紅白に初出場 〜「お客さんの反応が今までと全然ちがって…」〜

 

 

ーー そして、デビューして 6年目、 2002年4月24日に発売された 10作目のシングル『東尋坊』(作詞:木下龍太郎 / 作曲:弦哲也)のヒットで、大きく変わった。

 

水森: はい、この『東尋坊』は、やっぱり「曲のパワー」というか、作品のスケールがやっぱり全然違ったっていうのと、あとは、事務所的にも、なんか「ここで結果出さないと」みたいな、本当の意味での勝負曲になってました。

 

水森: あの……、本当か嘘かわかんないですけど、(作曲した)弦(哲也)先生に言われたのは、「もう、水森かおりは、歌手として崖っぷちだし、だから(作詞した)木下(龍太郎)先生と考えたのが、『東尋坊』だった」って……。で、歌もそうだし、歌詞も「崖っぷち」みたいなところで……(笑)、「もう、あとがないよ」っていう、そこの覚悟みたいな……(笑)、「それで、決めたんだよ」みたいなことを言われて、「あ〜、そうなんだ……」って思って。

 

水森: でも、本当に難しい歌だったし、それまでとは全然ちがう世界観だったから、私は、1回 ちょっと逃げたというか、「歌えない」って言っちゃったんです、弦(哲也)先生に。で、(『東尋坊』の)カップリングの『哀愁(かなしみ)紀行』(作詞:仁井谷俊也 / 作曲:伊戸のりお)っていうのが、なんか、テレサ・テンさんみたいな、ちょっと歌謡曲調で、すごく素敵な歌で、「こっちがいいです」って言ったら、すごい、弦(哲也)先生に「ダメだ」って言われて、「お前、わかってんのか? 崖っぷちだよ!」って言われて、事務所の当時いたマネージャーさんにもそうやって言われて、それで、「よしっ!」ってなって、レッスンに毎日通いましたね。

 

水森: で、発売してからは、あの……、お客さんの反応が今までと全然ちがって、商店街とかで歌ってても、なんかね、止まるんですよ、みんな……、で、ぱっと私を見るみたいな……、で、「あれ、なんかちがうな、今までと」って思って。なんとなく、お客さんが、この『東尋坊』で吸い寄せられてくるんですよね。

 

水森: 「え〜っ、なんだろう?」って思ってたら、やっぱり、握手会のときも、「感動しました」とか、「すごくいい歌ですね」とか言っていただいて、それでまた噂が噂を呼んで、カラオケ教室とか行くと、もう入りきらないぐらいのお客さんが「『東尋坊』を聴きたい」って来てくれて、それも初めての経験でしたね。なんか、みんなから「紅白に出れるよ〜」とかって言われるようになって、業界の中でも、他の(レコード)メーカーの方からも「水森さん、この『東尋坊』いいね」とかって言われるようになったりして、「行けんじゃないの? 紅白?」みたいな、「なんか、今年は、水森 来てるんじゃない?」みたいな流れがあるのは耳にしてたんですけど、「いやいや、まさか自分が……」っていう思いと、「えっ、本当に行けちゃったりするのかな?」っていうなんか淡い期待とがありました。

 

ーー その年、『東尋坊』での紅白出場は叶わなかったが、すぐ、その翌年、2003年4月2日に発売された 11作目のシングル『鳥取砂丘』(作詞:木下龍太郎 / 作曲;弦哲也)で、「NHK紅白歌合戦」(第54回)に初出場することができた。

 

水森: はい、そうです。『東尋坊』では、結局、ダメだったんですけど、その時、(長良じゅん)会長に、直接、言われたんですよ、「ごめん、今年はダメだった。でも、来年は、絶対にお前を紅白に行かせるように頑張るから、お前も頑張れ、諦めるなよ」って言われて、「わかりました」って言って……、で、『鳥取砂丘』だったんですよね……。

 

ーー 『東尋坊』も『鳥取砂丘』も、水森かおり の声のいいところ、特徴的なところがよく出ている。

 

水森: あ〜、ありがとうございます。

 

ーー 曲もキャッチーで耳に残るし、そこに乗った 木下龍太郎 の歌詞もいい。倍賞千恵子 や 菅原洋一 が歌った『忘れな草をあなたに』や、三橋美智也 の『鳴門海峡』、天童よしみ『あんたの花道』、橋幸夫『盆ダンス』などで知られ、水森かおり の初期の一連のヒット曲、『東尋坊』『鳥取砂丘』『釧路湿原』『五能線』『熊野古道』『輪島朝市』を作詞した、作詞家の 故・木下龍太郎 の歌詞は、メロディに乗せて歌われた言葉を聴いた時に、聴く人の心に沁みるように書かれていると感じる。

 

水森: いいですよね〜、ホントに! グッとくる〜……、独特のね……。

 

ーー 紅白初出場では、両親もさぞ喜んだことだろう。

 

水森: はい、もう、みんな喜んでくれました。だから、なんか、自分自身も、その『東尋坊』っていう曲が、歌手としての本当にターニングポイントだったし、で、やっぱり、「紅白歌合戦」という舞台が、初めて目標っていうものとして明確に思えたっていうか、(『東尋坊』で)選ばれなかったことが、初めて、悔しいって思えたことが、すごく大きかったんですよね。

 

水森: それまでは、もうね、「そんなの(出られないのが)当たり前、まだまだ全然遠い世界だし」っていう、もう「憧れ」としか思ってなかった……、「いつか出たいな、いいな……」ぐらいの思いだったんです。でも、そこで、「悔しいと思えた」っていうので、全然ちがうじゃないですか。「はっ」としたときに、「それだけ近づいたのかな」って思えたっていう……。それは、やっぱり、この楽曲(『東尋坊』)と、会長をはじめスタッフの皆さんとか、また、お客様が背中を押して、距離を縮めてくださったからこそなので、「これはもう、絶対、来年は恩返ししなきゃ」っていう思いで、(次の年の)『鳥取砂丘』は、やっぱり、よりがむしゃらに頑張りました……、うん。で、また、「『鳥取砂丘』を歌った人が『東尋坊』を……」っていう相乗効果もありましたね。



8 「ご当地ソングの女王」誕生のきっかけ 〜「そういう待ち方をしてくださってるんだ…」〜

 

 

ーー いつしか、「ご当地ソングの女王」と呼ばれるようになった。水森かおり の最初の「ご当地ソング」は、1999年 10月に発売された 7作目のシングル『竜飛岬』で、翌年、2000年に発売された 8作目のシングル『尾道水道』と続き、続く 2001年に発売された 9作目のシングルは「ご当地ソング」ではなかったが、その次、2002年に発売された 10作目のシングル『東尋坊』以降は、毎年、ずっと「ご当地ソング」を歌っている。

 

ーー これまで、水森かおり が歌ってきた、いわゆる「ご当地ソング」は、今回の最新シングルで、シングルのカップリングやアルバム曲を含め、1都 1道 2府 41県を網羅し、合わせて 156曲(2024年 1月 現在)にもなる。ちなみに、これまで歌っていない都道府県は、徳島県と福岡県だけだ。

 

ーー しかし、そもそも、最初から「ご当地ソングをシリーズで作っていこう」ということではなかった。

 

水森: そうですね、ちがうと思います。『東尋坊』の時は、結果、カップリングになった曲(『哀愁(かなしみ)紀行』)も(A面 = タイトル曲)候補のひとつになっていたので、それは、土地(ご当地)じゃないし……。それまでも、全部、そうなんですよ、『竜飛岬』も『尾道水道』も、結果、「土地の歌」(ご当地ソング)ですけど、新曲候補が何曲かあったんです。

 

水森: でも、多分、「崖っぷちで『東尋坊』だ」っていうことで、「メロディもすごく起伏の激しい歌で」みたいになって……、「じゃあ」っていうことで、全然ちがう世界よりも「同じような感じで……」(ご当地ソングで)っていうことになったんだと思います。

 

水森: で、その次の『鳥取砂丘』も、(作詞の)木下(龍太郎)先生がおっしゃるのは、「右と左にわかれる影を、夕日が染めていく日本海、ひとりになった女性が、今度はどこに行こうかな……って言ってたどり着いたのが『鳥取砂丘』だった」っていう……。で、「まだ癒されなくて、どこ行こうかなってなって、次、『釧路湿原』……」みたいな……。

 

水森: 「だいぶ、お金と時間のある人ですね」みたいな感じなんですけど……(笑)、なんかそういう感じで(木下龍太郎)先生の中では、「ひとりの女性が、訪ねて続けている」っていう、そういうストーリーがあったみたいなんです。

 

ーー ということは、10作目の『東尋坊』を作詞した 木下龍太郎 が、「ご当地ソング」シリーズの道を作ったということになる。

 

水森: あっ、そうかもしれないですね〜。

 

ーー 10作目『東尋坊』以降、『鳥取砂丘』『釧路湿原』『五能線』『熊野古道』と 5作連続で、そして、2008年に発売された 16作目のシングル『輪島朝市』まで、計6曲の詞を 木下龍太郎 が書いている。木下龍太郎 が、2008年に亡くならなければ、その後も、引き続き、作詞を担当していたかもしれないが、いずれにしろ、そこまで「ご当地ソング」でヒット曲が続けば、制作スタッフも、「引き続き、ご当地ソングでいきましょう」となるだろう。

 

水森: そうですね〜。あと、多分、スタッフの方も、そうだったと思うんですけど、私も、「今度は、どういう歌ですか?」じゃなくて、「次、どこなの?」って言われるようになったんですよね。だから、その時に、「あっ、なんか、そういう楽しみというか、そういう待ち方をしてくださってるんだ」って思って……。そう……、それも大きかったと思いますね。

 

ーー そういうふうに、「ご当地ソング」のヒット曲が何曲か続いた結果、自然と「ご当地ソング・シリーズ」になっていったのだろう。

 

9 常に10年先を楽しみに生きる 〜「目標を立ててやるタイプじゃないんですよ…」〜

 

 

ーー ところで、水森かおり と聞いて、なにより、まず最初に思い浮かぶのは、その笑顔だ。たとえば、『松島紀行』や『日向岬』などや、カバー曲などでも、メジャー調の明るい歌を歌う時、とにかく楽しそうに歌う。まるで、歌好きの少女のように、屈託のない子供のような笑顔を見せる。マイナー調の『鳥取砂丘』などでも、歌い終わって、アウトロ(後奏)が終わった最後、実にいい笑顔を見せてくれる。ここまでの笑顔を見せる歌手は、ほかにいない。

 

ーー テレビの公開収録や生放送の音楽番組などで、たとえば、複数の歌手でメジャー調アップテンポの曲を歌う時など、ニコニコと満面の笑顔で、誰よりも一番楽しそうに歌っているのが印象的だ。「本当に歌うことが楽しいんだな」と感じるし、その笑顔を見ているだけで、しあわせな気持ちになれるくらいだ。

 

水森: はっはっはっはっ……(笑)、はっはっはっはっ……(笑)、ありがとうございます。

 

ーー 仕事ではあるが、本当に楽しんでいるように見える。

 

水森: 楽しいですね〜! うん! まっ、もちろん、それを生業(なりわい)にしてるから、なんか、こう……、「悲しいときも歌わなきゃいけない」とかありますけど、根本は、やっぱり楽しいですね〜、うん。で、また、そういう姿を見て、歌を聴いて、「いいな」とか「楽しいな」とか、「あっ、なんか元気でてきたな」とかって思っていただけることが、またうれしいし。

 

ーー 昨年、2023年 9月には、「歌で旅するアルバム」をコンセプトとした、オリジナル曲とカバー曲で構成されたアルバムのシリーズ最新作『歌謡紀行 22 ~日向岬~』が発売されている。また、その前、7月には、それまでの『歌謡紀行』シリーズから、昭和・平成の名曲カバーを集めた CD 3枚組、全48曲収録の BOX『水森かおり Cover Box vol.Ⅰ ~時代を彩る名曲たち from 歌謡紀行~』も発売されている。

 

ーー その『歌謡紀行』シリーズに限らず、たとえば、テレビの歌番組などでカバー曲を歌うことも少なくないが、演歌・歌謡曲だけでなく、ポップスやアイドル歌謡なども実にうまく歌う。これまで、歌ってみて苦労した曲というのはあるのだろうか?

 

水森: あっ、でも、やっぱり、(美空)ひばりさんは、難しいですね……。あの……『龍馬残影』を『新・BS日本のうた』(NHK BS / NHK BSプレミアム4K)で歌ったことがあるんですけど、あれは、もう、ホントに難しかったです。でも、いまだに、「あれ(『龍馬残影』)が良かった」って言ってくださる方も多くて……。だから、こう、自分が「難しいな」とか「苦手だな」って思うものほど、「印象に残るのかな」って思ったりしてますね。

 

水森: あと、笠置シヅ子 さんの『ラッパと娘』も番組で歌わせていただいたんですけど、すごく難しかったけど、番組の演出の人からは「良かった」って、いまだに言われるし……、そうなんですよね……。

 

ーー 2024年1月 現在、50歳の 水森かおり は、「常に10年先を楽しみに生きる」をモットーにしている。

 

水森: はい、そうです。なので、60歳が楽しみです。でも、「そのための 10年をしっかり築いていかなきゃいけないな」っていうのは思いますので、「その結果の 60歳」だと思ってるから、そう思って……、はい。

 

水森: もともと、ハタチになった時に思ったんですよね。自分がその 10年後の 30歳になったときに、「素敵な 30歳になりたいな」って思って。で、30歳になった時に「素敵な 40歳になりたいな」って思って、で、50歳になって……。

 

ーー 10年後に「こうなっていたい」というようなイメージはあるのだろうか?

 

水森: あ〜……、あんまりないですね〜。目標を立ててやるタイプじゃないんですよ。それよりも、日々、「その 1日 1日の方が大事じゃん」って思っているから……。目標のために生きていくわけじゃないし、そのために頑張るわけじゃないじゃないですか……。その先に紅白があるから……、もちろん、紅白は出たいですよ。でも、そのために頑張るわけじゃなくて、それは、1日 1日を律しながら頑張った結果でだと思うんです。「それで、頑張ってダメだったら仕方ないし」っていう……、「じゃ、また来年、頑張ろう」っていうふうに思えば良いので。

 

水森: だから、あんまり、なんか、ないんですよね。結構、現状維持っていうのを大事にしているというか……(笑)。

 

ーー 時は進み、時代も世の中も変わっていくし、自分も歳をとっていく中で、仮に何もしなければ、現状維持はできずに後退してしまう。時の流れに合わせて、日々、変わっていく努力をしているから、現状維持ができているのだろう。

 

水森: あっ、でも、やっぱり、あの……、う〜ん……、なんでしょうね、「より自分自身を大事にしよう」って思うようになりましたね。なんかその……、もちろん、応援してくださる皆さんのために頑張るんだけれども、その頑張るためには、自分がちゃんとしてなきゃいけないなっていうか。それはもう、内面もそうだし、その食べるものとか、「全部、自分を作りあげているものを考えよう」って思うようになりました。

 

水森:前は、もう、夜中とかに、ポテトチップスとかを、食べたいと思ったらもう止まらず 1袋食べちゃうタイプだったんで……(笑)。もう、ちょっと、「そういうことしてちゃダメダメ」と思って……(笑)、「ちゃんと細胞から元気にしなきゃ」と思って……、うん、それぐらいです……、はっはっはっはっ……(笑)。

 

(取材日:2024年 1月16日 / 取材・文:西山 寧)

 

 
 
 
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33rd Single 「日向岬」(2023年 1月24日 発売)
 
 
 
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27th Single「高遠 さくら路」(2019年 1月22日 発売)