―― 今作には様々な提供曲も収録されています。作り手の方々それぞれのテイストや、萌音さんに対するイメージが楽曲に表れていますね。とくに印象的だった楽曲というと?
水野良樹さんが書いてくださった「まぶしい」は、デモを聴いて、「すべてその通りです。え、この歌詞って私が書いたっけ?」と思うフレーズばかりで、ビックリしました。水野さんは曲を作るにあたり、「何かキーワードが欲しい」と言ってくださったので、前もってちょっとした言葉は送らせていただいていたんです。それを広げてくださったんですが、お伝えしていないところまでも私の気持ちそのもので(笑)。
―― 私も最初にクレジットを見ずに聴いたとき、萌音さんの作詞だと思いました(笑)。
ですよね! すごく天邪鬼なところとかも全部バレている…。水野さんには、最初に「夜明けをくちずさめたら」という楽曲を提供していただいて。次にいきものがかりさんのコラボレーションアルバムに「帰りたくなったよ」で参加させていただいて。今回でご一緒するのは3回目だったので、それまでのレコーディング時間などを経て、いろんなことを感じてくださって、それを落とし込んでくださったんだろうなと。
―― 萌音さんの陽の部分だけではなく、陰の部分にも非常に寄り添われている歌詞ですよね。
この心に入り込んでくる感じ、なんて職人なんだと思いましたし、きっと水野さんもこういうことをたくさん考えていらっしゃるんだろうなと。私はとくにサビの<まぶしいくらいだ>という一行が大好きで。「まぶしい」って、キラキラして素敵、というイメージと、「光が強すぎない? まぶしいねぇ…」みたいなニュアンスと、いろいろあるじゃないですか。光る対象への憧れ、嫉妬、見る側の気持ち、そういうものも詰まっている気がして。
陽と陰のどちらも含んでいる「まぶしい」という言葉を、曲の静かになるところにキュッと入れ込む。核心に迫っているし、ちょっと皮肉も効いている。そこがすごく水野さん節で好きだったので、実はタイトルは私から「“まぶしい”でどうですか?」とご提案させていただきました。またすごく素敵な歌詞を書いていただいて本当に感謝しています。
―― さらに今作のアルバム収録曲で、萌音さんがお気に入りのフレーズを教えてください。
まず「かさぶた」は<君に後悔を植え付けたい>という冒頭から最高です。とたさんとの共作詞で、1曲を通じて言葉の裏側が見えていくような歌詞になったらいいなと思って、私も参加させていただきました。<ああ生涯僕を思い出して>とか言っているけれど、本当は<僕>のほうが生涯<君>を忘れられなさそう。やっぱり「どうか後悔して!」って願ってしまう(笑)。同世代の女子同士だからこそ書けた歌詞だなと思います。
あと、鈴木迅さんからの提供曲「perfect scene」の<乾いた喉を潤してく 水のような閃き>ですね。朝イチの水、みたいな。フィルムで撮ったような映像が浮かぶ歌詞だなと。自分の感情をいろいろ書いているわけではないのに、情景に気持ちが反射していて、「これがプロの歌詞だ!」と感じます。<退屈の匂いも 騒がしかった季節も まだ大事なままでいい>というのも、刹那的であり、地に足のついた肯定感という感じで好きです。
そして私は「風」が本当に好きで。諸見里修さんが3回目の楽曲提供をしてくださったんですが、もうイントロの2音を聴いただけで「最高!」って思いました。さらに<海辺の街で行き止まり 私は帰らなきゃ でも風 君はこの空を思うまま行け>というフレーズ、もうジブリの世界。たった2行でどこまでも景色が広がります。
―― 「風」を聴いたとき、萌音さんの歌声はまさに“風”のように変幻自在でもあるなと感じました。
ありがとうございます…! でもたしかに水と同じく、風にもいろいろありますもんね。この歌も、聴いているだけだとそよ風のような気がするけれど、こんなにも心を揺らす感じ、実はすごい強風なのかもしれないですし。あと、実はこの曲を歌ったとき、とても喉の調子が悪くて。前日まで声が出なかったんですが、レコーディングでギリギリ出た声なんですよ。絶好調のときだったら表現できなかった、奇跡的な風感かもしれません。
―― 萌音さんは、どんなときに歌詞を書きたくなることが多いですか?
…書かなきゃいけないとき(笑)。締め切りが迫っているときですね。私は暮らしているなかで、「これを歌詞にしよう」って思ったことがあまりなくて。「私が今、これを世間に言いたいんだ!」とかもないですし。なので、こうしてアルバム制作などのタイミングで、曲を生んでいただいて、それに対して私も何かを生む。そういうきっかけがないと書くことは少ないかもしれません。
―― 曲に対して、歌詞はどのように見えてくるのでしょうか。
曲から受け取るイメージや言葉からです。なので、まず単語をバーッと書いていきます。そして何回も聴いて、なんとなく景色を作っていく。室内なのか外なのか。昼なのか夜なのか。何時ごろなのか。何色なのか。
―― 舞台を先に用意するんですね。
そういうとカッコいいですけど…(笑)。景色が先にあって、「そこに私がいたら」みたいな感じで登場人物や物語のイメージを膨らませていくことが多いです。
―― 作詞でスランプに陥ることはありますか?
すべての曲で(笑)。まず第1の壁が、羞恥心。上白石萌音という自分で書くことが、エッセイよりも恥ずかしい。しかも私は曲先なので、音数で字数も決まっている上で、「じゃあ思っていることをどうぞ」みたいな。なんか“笑わせなくていい大喜利”みたいな感じじゃないですか。
―― (笑)。
歌詞となると、「うまいこと言わなきゃ!」「まとめなきゃ!」「素敵な言葉を使わなきゃ!」みたいな洪水に溺れそうになります。で、わーっと1回書いてみるんですけど、夜に書いて、朝起きて読んでみて、「なんじゃこれは…」って絶望して、また消して。すんなり書けたことは1度もありません。それが第2の壁。さらに、提出するという第3の壁があります。なかなか提出できない。他者の目に触れると思うと恥ずかしい。
―― たくさんの壁を超えて、1曲が完成するのですね。
しかも書けば書くほど、恥ずかしくなるし、難しくなるんです。それなのに、また「書きたい」って言ってしまう。不思議なものです…(笑)。
―― ありがとうございます。最後に、萌音さんにとって歌詞とはどういう存在のものですか?
私、最初に曲を聴くとき、必ず歌詞を表示させるんです。それぐらい歌詞が好きです。音というオブラートに包まれた、尖っているもの、痛烈に光っているものに出会うと、ドキドキします。そして、自分の心が言葉にできていなかった気持ちを、誰かが言葉にしてくれていたときの安心感。そういうものを与えてくれるものであり、何より、誰かからの「私もいるよ」という肯定が歌詞なんだと思います。これからも歌詞に憧れて、救われて、曲を聴き続けるんでしょうし、「私もいるよ」という気持ちで歌詞を書き続けていきたいです。