―― TVアニメ『進撃の巨人』 The Final Season Part2 のエンディングテーマ「悪魔の子」には、海外からも多くの反響がありますね。ご自身ではどんな反応が印象的ですか?
「マスターピース」という言葉を知りました。
―― マスターピース?
いろんなひとがコメントに「MASTERPIECE」って書いていて。ピースっていうから、パズルの話なのかな? とか思っていたんだけど、「名曲」って意味らしくて。勉強になりました(笑)。
―― 歌詞の<この言葉も 訳されれば ほんとの意味は伝わらない>というフレーズ。ここはまさに今日、冒頭でお伺いした「歌の翻訳フィルター」のお話にも通じますし、海外の方たちはどう訳して受け取るんだろうとも思いますね。
そう、気になります。もちろん母国語として日本人が聴くのもいいと思うし、海外の方に日本の言葉に触れてほしいみたいな気持ちもある。けど逆に、この曲を母国語で聴いてないからこそ、アニメを観るときに違う立場に立てることもあると思うんです。自分が嫌っている国の話とか、ちょっと肌の色が違うだけで怖いと思うとか、そういう瞬間に疑問を感じるきっかけは歌詞にも含まれている気がして。そこがどう捉えられるのか…。
あと、『進撃の巨人』という作品が何を言いたいのかとか、「悪魔の子」が何を伝えたいのかとか、みんなそれぞれに出した答えがあっていいと思うんですね。だから、「答えが違っている」ということで争っているのを見ると、それも違うぞって。「どうしたらいいんだろう」と考えることが大事なんじゃないかな。アニメ自体が常に問題を投げかけてくれるような作品なので、こういう曲になったんだろうなと思いますね。
―― 歌詞も答えがひとつじゃないというか。1番のサビの<なにを犠牲にしても それでも君を守るよ>という正しさと、ラストのサビで描いている気づきは、異なりますよね。ひとつの正しさがひっくり返るような。
そうですね。これだけアニメを好きなひとだったらフルで聴いてくれるだろう、考察することに慣れているひとも多いだろう、というちょっとした甘えもありました。だから、1番で聴いたものが2番では変わったり。アニメの話だと思っていたら、実は自分の話をされていると気づく瞬間があったり。実際、こうしていろんな仕掛けを入れても、飽きずにみんなすごく考えてくれていてありがたいなと思いましたね。
―― ご自身の歌が世界で認められていく、愛されていくっていうのは、やっぱり嬉しいですよね。
ありがたい気持ちと、乗っかっちゃいましたって気持ちと(笑)。ただ…、たとえば<愛す>という言葉がひとつあることで、恋愛の歌として聴くひとが多いのもおもしろいなと思いました。だって、自分の子どものこと、家族のこと、愛してるでしょ? って。歌になった瞬間にラブソングというか、綺麗なものになってしまうっていうのは、まさに「歌の翻訳フィルター」の話に通ずるなと。常にいろんなことを疑問に思ってほしいけど…、それはとっても生きづらいことだから。歌で伝えるって難しいなと勉強になったし、身に沁みましたね。
―― アルバムのなかで、ご自身でもっとも思い入れが強い楽曲を挙げるとすると、いかがですか?
しいて言うならば「悲しい歌がある理由」ですかね。作ったきっかけは、いろんなインタビューで答えているところだと、「ヒグチアイの曲を聴くと、悲しいからツラくなる」っていうツイートを見たことで。結局、エゴサして曲を書くまでにたどり着いているわけですけど(笑)。
なんか今まで私は、自分が女のひとだってことに対して、まわりに否定されるということがあまりなかったんですよ。たとえば、お茶を汲まなきゃいけないことも、お酌をしなきゃいけないこともなかったし、みんな一人間として扱ってくれていて。ただ、ある時期に年上の女のひとから、「打ち上げのときは、ちゃんとお酒を注ぎに行かなきゃいけないよ」と言われたことがあって。え? って思った瞬間があったんですよ。
ニコニコしてなきゃいけないとかね。まぁ私は、「わかりました」って言いながら、1回もやったことがないんだけど(笑)。もし、やりたくないのにやらなきゃいけなかったらしんどいだろうな、って思うところもありつつ…。ただ、女のひととしての自分のありきたりな部分を、隠さなきゃいけない世の中になっているのも怖いなと思ったんです。私は甘やかされたいし、重い荷物は持ってもらいたいし、男のひとを好きになる。そういう世間の大多数に私も含まれている、という部分。
1番の歌詞の<真っ白いワンピース>の女のひとも、それを自分のために着ていることを誇りに思っていれば、別に反発する必要もないわけで…。とか、自分の持っている女性としての“普通”をすごく考えた時間だったので、思い出深い1曲なんです。
―― とくに、「書けてよかった」と思うフレーズはありますか?
2つあります。ひとつは2番の<本当のわたしを知る人は棺桶の中>というところ。その時期、じいちゃんが亡くなったんですけど、別に悲しくなかったんです。いろんなことをしてもらった記憶があるわけじゃないし。ただ、長野にいた頃、いつもじいちゃんが車で長野駅から家まで送ってくれていて。その記憶はとっても濃いものだったから、歌のなかに何かじいちゃんのことを残せないかなと思って。それで書いたフレーズなんですよね。
もうひとつは最後の<もう許していいんだよ>ですね。私はさっきもお話した母親のこともそうだけど、憎むっていう激しい感情を軸に生きているところが結構あって。それを曲にできることで、進めるし頑張れる。そういうことも<許していいんだよ>って意味なんですよね。相手をじゃなくて、自分を自分で許していい。憎むことも、憎むことを糧に生きていることも、許していい。私にとってはありがたい言葉というか。自分で書いていて、よく見つけてきたなって思うフレーズですね。
―― アイさんにとって、歌詞とはどんな存在のものですか?
わー、難しい。私の気づき発表会(笑)。でも存在の意味としては、疑問とか問いかな。答えをみんなに伝えているわけじゃなくて、何かを考えてもらうための疑問や問いをずっと書いている気がします。「こういうの気づいたんだけど、どう思う? 共感する? それとも違う答えが出てくる?」っていう感じですね。
―― ありがとうございます!最後に、これから挑戦してみたい歌詞を教えてください。
最近、サッカーを観ているんですけど、その応援歌として絶対に今の私の曲は流れないじゃないですか(笑)。だから、サッカーのスタジアムで流れるような大きな前向きな歌を書きたいなと思いました。それはもう人生をかけて書かなきゃいけないなという気持ちですね!