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今日のうた

a flood of circle/<退屈>の皮膚に包まれたままでは気づけなかった<骨>を発見した。

a flood of circle
<退屈>の皮膚に包まれたままでは気づけなかった<骨>を発見した。

 2024年11月6日に“a flood of circle”がニューアルバム『WILD BUNNY BLUES / 野うさぎのブルース』をリリースしました。今作の収録曲「虫けらの詩」、「WILD BUNNY BLUES / 野うさぎのブルース」、「ひとさらい」、「Eine Kleine Nachtmusik」、「D E K O T O R A」の5曲は、共同制作者に高野勲を迎え福島県の山小屋へ機材を持ち込んでプリプロからレコーディングまでを行なったとのこと。全11曲入りとなっております。    さて、今日のうたではそんな“a flood of circle”の佐々木亮介による歌詞エッセイをお届け! アオキテツ(Gt.)が作詞作曲を手掛けた収録曲「 11 」にまつわるお話です。ひとつのフレーズ、ひとつのワード、隅々まで丁寧に想像し、じっくりと読み解いていただきました。ぜひ歌詞と併せて、最後までエッセイをお楽しみください。 アルバム『WILD BUNNY BLUES / 野うさぎのブルース』にはアオキテツ作詞作曲の「11」という曲が入っていて、これが聴き所です。   他10曲は全て佐々木亮介の詞曲(ただし「ゴールド・ディガーズ」にはストレイテナーのホリエアツシさんが、「キャンドルソング」にはASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文さんが、それぞれプロデューサーとして作曲に関わってくれました。わーお)なので、「11」の存在を嬉しく感じてもいます。   アオキテツの書いた歌詞を読んで連想したことを書き連ねて、今回のエッセイということにしたい。   ーーー   過去には佐々木亮介とアオキテツとで書いた「LUCKY LUCKY」という曲があるんですが、この歌詞は二人で意見を交換しながら一緒に作ったものでした。   テツが書いた詞だけで完結させた方が作品としての純度は高いんじゃないか。そんな気もしたけど、当時は彼が新しいメンバーとしてバンドに入ったばかりのタイミングだったという事情もあって、それまでa flood of circleをやってきた自分の感じと混ぜてお互いにとって新たな形を作ってみようか、という実験の気分で共作した訳です。 つまり曲を作るだけじゃなくてバンドを作り直すような作業でもあった。   時は経ち、バンドは概ね形が完成してしまい、「11」はアオキテツ単独での作詞です。 テツの表現の面白さが純度高く表れている曲になっていると思います。   さて、一緒に作っていない分、歌う前にヴォーカルとして、聞き手と同じように「詞を読む」行為が生じます。 曲の解釈は受け手の自由。これよく聞く言説ですね。 そりゃそうだと思う。 だからテツに説明を求める意味もつもりも無いし、勝手なイメージを広げています。 まあ、そうは言っても、実際に歌う時は音や言葉に対してシンガーとしての反射神経で歌っているだけというか、要はあんま何も考えてないんですけどね。   改めて「11」の歌詞をどう読み得るか、書き出してみる。   ーーー   まず「11」というタイトル。 「イレブン」と発音します、とテツが言っていました。 これに既に彼のキャラクターが2点表れている。   1点は、可読性が低いというんでしょうか。パッと見て発音が分からないタイトルを好む傾向が彼にはあります。   以前リリースした『HEART』というミニアルバムがあって、これはメンバー4人それぞれが作った曲で構成するという挑戦作だったので、タイトルも自分で決めずに彼に決めてもらったんですが…彼はその発音にまでこだわっていました。   『HEART』は英語発音でもなく「ハートマーク」と発音する時の「ハート」でもなく、野球の「サード」と同じっていうかB'zの正式な発音と同じっていうか「狂気」と同じ発音の「HEART」...あれ、逆だったかな、忘れました。とにかくアルバム・タイトルの正式な発音というものまで設定していたんです。   いずれにせよそれって文字を読んだだけでは伝わらないことで。例えば本人がラジオ出演の際なんかに発言することで初めて他人に伝わる細やかな情報ですよね。 彼にはそういう細やかさがあるんです。   もう1点は、タイトル見たままですが、ぶっきらぼうであること。   サビの歌詞に<Star>という言葉があるように、当初デモの仮タイトルは「Star」だったんですが、a flood of circleには「STARS」という曲が既にあるので、もう少し違うタイトルを考えても良いかもねという話から、彼は新たに「David Bowie」というタイトルを提案してくれました。   音楽的にDavid Bowieの曲を元ネタにしているという訳じゃないと思うんですが、しかし残念ながら権利関係の問題からレコード・レーベルによるNGが出てしまい、改めてタイトルを考える必要が出てきてしまって。   そこで彼が次に提案してきたのが「11」。 アルバムの曲順を決めたタイミングだったので、タイトルの由来はこれが11曲目だったから、でしょうね。 面倒臭いだけだったと思いますが、でも雑なやり方の中にだけ生まれるチャーミングさも大事にしているかも知れない。   細やかとぶっきらぼうのバランスの具合に、その人らしさが表れるっていうのはありますよね。   ーーー   さて、歌詞を読みます。     凪混じる街 退屈はダチ 赤終わる頃 夜明けの轍   まだどこの<街>かは分からないけれど、<凪>ということは海か水辺が近いのだろうか。 愛と勇気だけが友達というスターもいる訳だけど、この歌の主人公は暇そうで、そして自分がいる街自体に飽き飽きしている印象も受ける。 街に飽きると言っても、実際に凪を感じられる場所だとすればそれはビル群があるような都会暮らしに疲れてしまう感じとは違う。 片田舎で燻っている状態、という方がしっくり来る。   <赤>が示すものは微妙だ。 その次に<夜明けの轍>と来るから<赤>は朝陽の光と連想してしまうけど、いや夜明けの太陽だとすると<終わる頃>じゃなくて<始まる頃>になりそうなものだし。 だからこの<赤>を、風景描写でなく、<退屈>への苛立ちを抽象的に表すものと捉えてみる。   擬人化された<退屈>は<ダチ>と呼ばれるほど親密な存在だけど、あまりに近しい関係の者というのは、その良い面と悪い面の両方に触れざるを得ない。 <ダチ>にはそういう腐れ縁のようなニュアンスが混ざっている。 そしていよいよ悪い面ばかり目について苛立っているんじゃないだろうか。   言葉だけではなくバンドサウンドとの関係を考慮すると、パワーコードと呼ばれる和音を使ったシンプルなギターの響きとも相まって、<赤>は古いギャグ漫画によく登場する単純化された怒りの記号としてのそれのように、浮かび上がる血管、赤い血の流れも連想させる。 彼はこのまま<退屈>くんとこの<街>で心中する訳にはいかないと焦っているのかも。   逆恨みのような、情熱のような、心に燃えている苛立ちの<赤>い火は<夜明け>になってやっと鎮まってくる。 その火は冷めて消えてしまったというより、夜明けを機に<街>を出ようという決心に昇華されたのかも知れない。 <轍>とあるから、今度こそ太陽の明かりが登場して、差し込んでくる陽光を抽象的な道標のように捉えているような。   ここではいくつか押韻している。 最初の2つは頭の<凪>と<退>で母音「あい」が揃っているし、後ろは<街><ダチ><轍>として軽快なリズムを大事にしている感じ。 かと言って3つ目の<頃>までは揃えない。 それによって生真面目すぎない感じが出ているというか、堅苦しさを感じさせない効果が生まれている気もする。       チャイナの声がやまない こびりついたまま 前髪あげて ジャリ銭持って行こう   唐突な<チャイナ>。 近所に中華街でもあるんだろうか、中国出身の知り合いでもいるのか。 まずRed Hot Chili Peppersの「Californication」を連想した。 かの曲では冒頭から<Psychic spies from china>と歌い出し、それが掴みとしても面白い。 その後に登場する<Dream of Californication>というビッグなコーラスには、言葉通りアメリカンドリームの黄金に煌めくようなイメージが宿っている。 しかし曲全体としてはアメリカンドリームという幻想、引いてはカリフォルニアという地域ががもたらす影の部分が押し出されていて、枯れた/疲れ切ったような印象を強めている。 だからこの<China>はアメリカと中国にある国家間の政治的な緊張みたいなものも想起させるし、でも言葉遊びとして扱う面白さも同時に感じさせてくれる。   では「11」の<チャイナ>はどうだろう。 この後の詞は最後まで日本という国家について思いを馳せるようなシーンはないし、突飛さという点で「Californication」的ではあるけれど、政治的なことを連想させようという意図はなそうな気もする。   <声がやまない><こびりついたまま>ということは、<声>は主人公に重大な影響を与えるものなんだろう。 それが良い影響なのか、プレッシャーになるような影響なのか、それらが混ざっているのか、まだ判別できない。   詞から距離を取って、アオキテツという作家を俯瞰で見つめると、<声>は彼の影響元として大きな存在であるチバユウスケさんの歌声とも連想できる。 もちろん筆者にもa flood of circleというバンドそのものにとっても、切り離せない大きな存在だし。   チバさんの作に「ハイ!チャイナ!」という曲があって、これを連想するのがシンプルで自然かも知れない。 <吐いちゃいな>と駄洒落を言ってるだけのようで、本音を吐くこととか、生理的な拒否反応を肯定するような感触がある曲だ。   <前髪あげて>、まずは形から憧れの真似をしてみる少年の様子が浮かぶ。 でもこの主人公は苛立ちを抱えながら<街>を出る決心はついていて、背伸びせずかと言って後先を考え過ぎもせず、手持ちの<ジャリ銭>だけで飛び出してしまう。 きっと自分の本音に従うために。       Star ボロ見せない 相槌のウィンク Star 果てはクズさ ロックのゴッコ遊び    最初の<Star>は憧れそのものについて書いている感じ。 2つ目の<Star>はそれに投影した自分自身を自嘲的に書いている感じ。 録音したヴォーカルは<相槌>を「相」で切って歌っていて、それは単語を情報として伝える手段としては聞き手に対して不親切なんだけど、この主人公が歌で発しているものは情報ではなく感情だろうから、これで良い。 そのようなぶっきらぼうさ、もしくは怠さがこの歌には合っている。 そしてこの後が特に面白い。       カクタスの群れ ヒマワリの種 チキリヤの前 何かの骨か?   パッと掴ませてはくれない。 <カクタス>はそのままだとサボテンのことか、でもこの<カクタス>は生き物のように<群れ>ている。 サボテンと言えばトゲがあるから、それが複数で<群れ>ていると考えると、被害妄想気味の自嘲や、もしくはここに描かれていない他人からの抑圧のようなものもあるのかも知れない。物理的な痛みじゃなく自意識のトゲ達に心が苛まれているイメージだろうか。   <ヒマワリの種>は小動物が食べるような可愛さもあるけれど、盛夏の太陽に向かって伸びていく希望的な花の<種>をこっそりポケットに入れて持ち歩いている、というイメージが湧いた。   <ヒマワリ>は背が高く、咲くと空を見上げる人間のような形に見える。 歌詞に花を登場させてその花言葉の意味も詞に織り込む、というのはたまに聞く手段で、自分はあまりやらないし他人の歌詞を見てもわざわざ花言葉を調べるなんてことは特にしないのだけど、試しにヒマワリを調べると…。まず「光輝」という如何にもな言葉があり、そして「あなたを見つめる」という言葉もあった。 自分を見つめようとしている主人公にはしっくりくる花言葉かも知れない。 ところで花言葉ってなぜか美言ばかりでなく仄暗いものもあって、それ要る?といつも思うんだけど、ヒマワリには「偽りの愛」という言葉もあるそうだ。 <ヒマワリの種>が「光輝」に育つか「偽りの愛」に育つか今は分からない。   次の<チキリヤ>、自分は初めて聴くし初めて読む言葉だ。 パッと見カタカナだし主人公のささくれた気持ちを想像すると、密告者がチクる、とか、関西弁のイキる、とか、なんとなく響きの似ている尖った言葉を連想したんだけど、うーん、関係なさそうだ。   <チキリヤ>をグーグル検索すると、京都の着物屋がヒットした。 漢字では千切屋と書くらしく、屋号に千切、ちぎりという言葉が入っている。 ちぎりを契りと読むと誓いとか覚悟の意味も連想できなくはない。 でも読み進めるともっとシンプルなヒントが与えられることになる。 この詞の後で<山科>という決定的で具体的な京都の街の名が登場するのである。   それを踏まえて<チキリヤ><山科>で検索すると、今度は生花店がヒットする。 なるほど<カクタス><ヒマワリ>これらは花屋の店頭の描写だったのかも知れない。 と、納得しかけたところで突然<何かの骨か?>という問いかけが発せられる。 これが一番分からなくて、面白い。 <チキリヤ>が花屋だとしたらその店の<前>の道に<骨>みたいなものが落ちているのが目に入ったけど実際は何だか視認できない、という不思議なシチュエーションだろうか。   <骨>、白く硬質な別の何かと見違えたのか、意図的に何かに見立てているのか。 分からないが、<骨>は死を連想する言葉でもある。 死を見ている。 主人公はその<骨>みたいなものを拾っただろうか。   人生には確かめようがないことがいくつもあって、自分自身のことなのに分からないことも山程あるし、他者や社会や世界や宇宙のことなど言うまでもなくほとんど分からない。歩き出した主人公はただ<退屈>していた頃と違って視界が冴えて、<退屈>に感じていた<街>にも実はまだ分からないことが転がっていると気づいたのかも知れない。 細部に気づけるようになっているということだろうか。 細部が大事だという意識は後半にも改めて登場するし、この歌詞の重要なメッセージの一つとも言える。   本当はただ作者が花屋の前を通りかかった時に<骨>っぽいものを見かけてドキッとした、という不思議なエピソードを詞にしただけかも知れないんだけど。 謎が詞を面白くすることは確かだし。   音としては、1番でちゃんと押韻している分、2番では押韻がないことで乱雑な印象になっていて、その対比が主人公の整い切っていない心の状態を際立たせているようにも思える。       義眼のジギー 醒めないまだ夢の中 夜な夜な見たぜ 山科の辺りで   <義眼のジギー>はそのままDavid Bowieだろう、『Ziggy Stardust』。 BowieがZiggyに変身したアルバムだ。 変身して物語を生み出すことで聴衆を巻き込んだアルバム。 <義眼>であることも変身のイメージを強める。 Bowieには<山科>に住んでいたという都市伝説があるそうだ。 かと言って主人公が<山科>にいたBowieを実際に目撃したとは思えない。 <見たぜ>という言い方にあるのは確信というより嘯くニュアンス。 <見た>のはあくまで<夢の中>。 主人公は今、自身が変身しようとしているから、見ようとして見てしまったのかも知れない。 肝心なのは現実に<見た>か否かよりもそれが<醒めない>ことだ。     Star ドア蹴飛ばせ ボッチでマスカレード Star どぎつい目で 魔法が解ける前に   <Star>に<蹴飛ばせ>と命令している。 それはある個人というよりロックスターとされる全ての人に宛てた命令という気がする。 夢を見せたからにはガッカリさせてくれるな、という生意気な命令を祈りのように投げている感じ。 そしてそこに自分も投影している。 <マスカレード>は、<ジギー>が変身の象徴であることと連結している。 <どぎつい目で>血眼になって変身の術を探し求めている。 <義眼>は作り物であって視覚がないはずだけど、眼ではあって、まるで第三の目のように見えないものが見えるんじゃないかと夢想させる。   本物ってなんだろうか。 「ゴッコ」のままの人と、<ボロ見せない><マスカレード>で変身を果たせた人の違いはなんだろう。 いやそんな違いは幻で、本当はどんなロックスターもただ生身の人間でしかない。 <魔法が解ける前に>主人公も自分の生き方を発見しようとしている。 憧れの真似で済まされる<少年>の季節は短い上に、とっくに過ぎ去ってしまったんだから。     ベロの位置とか分け目? そんなチャチな事も アンテナ張れよ 知らねぇじゃ済まねぇぞ   神は細部に宿るという。 視界が冴えている今では、主人公は道端の<骨>に気づくだけでなく、自身や他人の<チャチ>な細部にまで目が向いているようだ。 ちなみに自分は、神は大雑把さに宿る、といつも感じている。 だからこの詞に共感している訳ではない。 詞を読むことは共感の作業でなく、自分の読み方を創作していくことに近いと思う。 作者や詞を理解するなんて到底無理だし必要もなくて、作者と詞を通して、自分が表れてくることが面白いと感じる。     Star 愛してるって  いけしゃあしゃあとまだ Stone 果てはクズさ ロールは続いてくよ Star ハリボテじゃねぇ Star 今だけは嘘じゃねぇ   <愛してる>はスタンダードな言葉だが、歌詞として使うにはハードルが低く、でも日常会話の中で使うにはハードルが高い、I Love Youの翻訳として無理矢理日本語に存在させられているようないびつさもある。   それを<いけしゃあしゃあとまだ>と攻撃する先には、同時に2つほど宛てを感じる。 1つ目は<Star>に対して。そんな恥ずかしい言葉をさも素晴らしいもののように響かせるスター達の振る舞いに対する、簡単に言ってくれやがってとでも言うような、嫉妬。 主人公が嫉妬できるということは、<Star>は何者かになろうとする自分にとってある種ライバル視すべき相手になっているということだろう。   2つ目は自分に対して。ライバル視さえするようになっているんだから憧れに対して<愛してる>とだけ言っている場合じゃないという焦りの感覚、その余裕がない自分への苛立ちとも取れそうか。   ここで一度きり<Stone>が登場する。 次に<果てはクズさ>とくるから<Stone>はスラングとしてハイになることかなと一瞬思うし、そうなると<カクタス><ヒマワリの種>がハイになるために摂取するための何かで、<Stone>してしまって<骨>のような謎の物体を幻視してしまったという流れだったのかな、とも思った。   が、ここはもう少しシンプルに、その後の<ロール>に続けるための<Stone>と捉えておく。 <ロール>するのは石、というのはロック・ミュージックの、まさに定石だから。 もし<Stone>の箇所を<Star>にすると同じ言葉が4回繰り返されることになるから、あえて変えたのかも知れない。 繰り返しは聞き手に印象深さを与える時もあるが、単に飽きてしまうこともあるし、変化のさじ加減には書き手のセンスみたいなものが表れる気がして興味深い。   <ゴッコ>だった主人公は、まだそのコンプレックスも引き連れながら、<今だけは>違うと言い聞かせる。 自分が踏み出したことで、スター達も生身の人間なんだから彼らも昔は<ゴッコ>から始まったのかも知れない、という肝心な部分、<退屈>の皮膚に包まれたままでは気づけなかった<骨>を発見した、という感じもする。 そのことは彼を勇気づけ、同時に脅かす。 それが<今だけ>の儚いものだったとしても<ハリボテじゃねえ>ことを自ら示さねばならないから。 生身の自分にも出来る気がしてくるし、でも遠い<Star>だけが成せる業なんじゃないかという疑念は消えない。   ーーー   と、このようなことを考えて歌っている訳ではありません。 今日のところはこう思ったという話です。 11月から始まる『WILD BUNNY BLUES / 野うさぎのブルース』のために行う30本くらいのライブツアーを通して歌うたびに、自分の人生が進行してしまうたびに、一つ一つの言葉とかその連なりが深まったり違う意味を持ったりしていくんだと思います。 なんて言って、しつこいですけど歌う時は正直あまり考えていません、大体酔っていますし、悪しからず。 ただし一生懸命やっているのは本当です。 ぜひアルバムを買って、ツアーのチケットを買ってください。 よろしくどうぞ。   <a flood of circle・佐々木亮介> ◆紹介曲「 11 」 作詞:アオキテツ 作曲:アオキテツ ◆NEW ALBUM『WILD BUNNY BLUES / 野うさぎのブルース』 2024年11月6日発売   <収録曲> 1 WILD BUNNY BLUES / 野うさぎのブルース 2 虫けらの詩 3 ゴールド・ディガーズ 4 ひとさらい 5 Eine Kleine Nachtmusik 6 D E K O T O R A 7 ファスター 8 キャンドルソング 9 ベイビーブルーの星を探して 10 屋根の上のハレルヤ 11 11

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