Sano ibuki
最後の日の過ごし方
2024年11月27日に“Sano ibuki”が2部作からなる3rd Full Album『BUBBLE』をリリース。デビューアルバム『STORY TELLER』以来、新たに書き下ろした空想の物語をもとに、2部作(side-DUSK/DAWN)となる本作。「夢」に憧れ、旅を始める二人の少年による、異なる時空で繰り広げられる冒険譚をもとに書き下ろされた作品となり、前篇「BUBBLE side-DUSK」は10月30日に配信リリース。
さて、今日のうたではそんな“Sano ibuki”による歌詞エッセイを2回に渡りお届け!第2弾は、「BUBBLE side-DAWN」収録曲「 きっと ずっと 」にまつわるお話です。この歌を作る動機を得た大事な日。誰に何を言われても、大切な自分の“好き”があるあなたへ。ぜひ歌詞と併せて、このエッセイを受け取ってください。
前書き
日記のように書き留めていた文章に少し手を加えたものになります。思えば、「きっとずっと」という曲を作る動機を得た日だったなと思い、世の中に送り出そうと思います。2024年8月28日「三千世界」のレコーディングの日のことです。
推しが卒業するという体験を初めてした。
卒業の日には配信ライブが20時から行われ、21時からレコーディングだった僕は、電車に揺られながら実感のないままスマホの画面を眺めていた。
配信はまだ始まってもいないのに、大量のコメントが流れていく。まだかなあ。長いなあ。なんて思えるほど不思議と心は平然としていた。
思えば、僕は1人の人間を推すという行為をアニメのキャラクターや作品の中にしかしたことがなかった。
その最後のお別れのやり方はどれも決まって、"辛くて最終回以外は何百回も観たのに最終回だけがどうしても一度しか観れない"といったもので。分断された世界に対して投げかけることなんて無粋で、ただ悲しむしかない。受け入れないぞと拒絶するしかない。そんな終わりだった。
だからこそ物理的に言葉、文字を投げかけることができる卒業というものがこんなに生々しく、現実世界で起きている事象なんだと無理矢理、理解させられる体験が新鮮で、そしてこんなにも実感の湧かないものなのかと驚いた。
独り、薄暗い部屋で菓子パンを齧った時も、上手く眠ることが出来なくなってしまった朝6時のベットの片隅にも、動いているものがないと頭がおかしくなってしまいそうになった作業中にも、かわるがわる新しい人と話しては引き攣った笑顔を拭うように死んだ目で揺られた満員電車のイヤホンの中にも、その側には配信という近くも遠くもない距離に彼女がいた。
画面の向こうで人見知りしながらも人と関わることをやめず、「えへ、えへへ」と下手な相槌を打ちながら、向き合っていた彼女は、人と向き合うことをやめた部分さえ除けば、自分とあまりに重なっていた。
幼少期、まだアニメやゲーム、漫画が好きだということで迫害を受けるようなことがあった頃、僕はクラスメイトから、「そんなもの好きなんて気持ち悪い」と言われたことがあった。
テレビでは、"ゲームのやり過ぎ、アニメの見過ぎは馬鹿になる"や"オタクは罰せられるべきだ"と言わんばかりにコメンテーターが吠えていた。
隣で父親に、「いぶきもこんな風になるんじゃないかって不安やぞ」とため息を吐かれながら、身に覚えもないお説教を受けることもあった。親なりの心配だったのだろう。今では有難いとさえ思える。
でも自分をまだしっかり保てるような歳でもなかったからか、スポンジのように言葉を吸い込んでは、自分とその殺人鬼の何が違うのか悩み、強烈な不安と共にクラスメイトから投げかけられた、“気持ち悪い”という言葉を自分に投げるようになっていた。
自分の基礎にある自己肯定の低さはここから来ているところもあるだろう。いまだに声高々に好きなものを好きだというのが少し怖くなる時がある。
そんな諦めが癖になった頃に見つけたのが彼女だった。
味のしなくなった食事を流し込むために、YouTubeでお供を探していた時、偶然、切り抜きを見つけた。
SAO(ソードアート・オンライン)を好きだとちょっと怯えながら早口に話す彼女にそんな自分を重ねていた。そして「誰かの光になりたい」と直向きに頑張り、確実にそうなっていく姿に、いつのまにか純粋に憧れていた。
20時45分、レコーディングスタジオに着いたが、まだライブは中盤で終わりそうにもなかった。
慌ただしくスタッフの方々が準備をしてくださっている中、イヤホンをつけて画面から目を逸らさず見つめ続けた。ディレクターが怪訝そうにこちらを見つめているが、「後でアーカイブを見ればいい」と妥協してしまったら後悔しそうでやめることはできなかった。
卒業発表を見た時に意外と動揺しなかった。
日常に溶け込んでいたものが消えることの大きさを認識していなかったこともあるのだが、まあそのタイミングはいつか来るよな。と楽観的にお知らせを見ていた。
強いて言えば、出来ることは何もない、ということになんとなくその日のデザートを残してしまうくらいのショックを抱えたくらいだった。
卒業を発表して約一ヶ月の猶予期間、配信を欠かさずに観たわけではない。アーカイブあるし、また明日見ればいいし、曲作らないといけないし、練習あるし、眠いし、なんか気分じゃないし、そんな理由で見れる時に自分のペースで見ていた。少し後悔している。
彼女がちゃんと一つ一つ、最後まで残そうとしてくれているその場に行くことが数少ない出来ることの一つだったようにも思えた。コメントだってほとんどしたことない。でもそれでもいいと言ってくれる彼女に、余計罪悪感が募った。
最後だし、コメントしようかなと悩んで「ありがとう」とだけ送った。高速でコメントが消えていく。
涙ながらに歌う彼女へのエールと感謝の気持ちが飛び交っている。知らない間に涙が溢れていた。
それは寂しさではなく、当たり前の日々をくれた彼女に対して感謝が溢れるように流れたものだった。
ライブが終わった。派手なセットがあった画面だとは思えないほどさっぱりとしているYouTubeは真っ暗な画面と、配信は終了しました。という文字を映していた。
ティッシュで涙を拭っていると、ディレクターに、「何、画面観て泣いてるの。面白いなあ」と冗談を言うように笑われた。
もう21時を少し回っていて、レコーディングのメンバーが到着していたので、挨拶に向かう。初めましての方もいたのでしゃんとしなきゃなあと心のネクタイを結び直す。
準備されていた皆さんに声をかけると朗らかで、挨拶と共にもらえた「曲めちゃくちゃいいですね」という言葉に少し安心する。隣からディレクターが、「さっき、Sanoの推しが卒業しちゃったみたいで、画面眺めて泣いてたんですよ~もうレコーディングだって言うのに困っちゃいます」と場を和まそうと話をし始めた。
するとすぐにドラムを叩いてくださった吉田雄介さんが、「えっもしかしてあの人ですか」と返してくれた。
同じく推しがいるらしく、和やかに好きを語ってくれた吉田さんは次に「大丈夫ですか」という言葉をくれた。
胸にグサッとその言葉が残った。
少し談笑をしてからブースを離れたが、吉田さんの「大丈夫ですか」という何気ない一言が胸に漂い続けていた。それは久しくされていなかった自分の好きを誰かに大事にしてもらえた瞬間のようだった。
永らく、こういう趣味は誰かと分かち合うものではないからと笑われても、馬鹿にされても、気持ち悪がられても仕方ないと蓋をしていた。そうやって怯えて殻にこもってしまっていた。同類を見つけても、趣味が違うからとかそんなことで否定されることを恐れては避けてきたツケだとも思っていた。
でもこうして、「画面越しでも大事を失くすことが大丈夫じゃないことに気づいてくれる人がいる」。そんなことに気づかせてもらえた。きっかけをくれた吉田さんや、今まで見ないふりをしてきた人達もそういう気づきをたくさんくれていた。それに気づけなかったことが悔しくて、あったかくてまた少し泣いた。
推しのおかげで久しぶりに人の優しさに気づけた。最後の最後まで貰いっぱなしだった。
すごく素敵な憧れる人でね、卒業配信も素敵だったんだよ。とディレクターに伝えた。誰かに伝えたかった。
それが僕にできる精一杯だった。
明日になれば、過去のアーカイブを眺めながらまた味のしない飯を流し込むのだろう。僕には他にも推しがいる。他で事足りていってしまうのかもしれない。
でもこの気づきを思い出すたびに大切なものとして引っ張り出すと思う。
沢山の愛に包まれて前へ進んだ彼女のように、誰かの光と成れるように僕も駆け抜けたい。そんなきっとをずっと願っていた。
始まりの曲だけど、夢を諦めた人の歌でもある曲を録りながら思った。そして自分も彼女のように誰かの心に宿り続けるものをと、描き切りたいと、そんなことを思うのだった。
<Sano ibuki> ◆紹介曲「 きっと ずっと 」 作詞:Sano ibuki 作曲:Sano ibuki
◆3rd Full Album『BUBBLE』
2024年11月27日発売