このコーナーでは、当時のランキングやエピソードと共に、「ザ・ベストテン」に出演した歌手のヒット曲を紹介していきます。第34回は1983年2月17日のランキングを紹介。
今月のスポットライトは、今も色あせぬ卒業シーズンの定番曲、悲しい失恋の場面をしっとりと歌い上げた、柏原芳恵の「春なのに」を取り上げます。
悲しくも美しい、卒業式当日の別れを歌った名曲
spot_photoです。

 柏原芳恵は、14歳になったばかりの1979年10月、オーディション番組「スター誕生!」で合格。高い歌唱力の片鱗を感じさせ、7社からスカウトのプラカードが上がる逸材だった。翌80年6月、柏原よしえの芸名で「No.1」で歌手デビュー。1年目こそヒットが出なかったものの、81年に発売した7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」がヒット。この曲で11月19日、まず『ザ・ベストテン』のスポットライトに初出演を果たした。当時堀越学園高校1年で、同じクラスだった松本伊代と2人揃っての出演だった。良きライバルとして、柏原の「ハロー・グッバイ」と、松本のデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」のどちらが先にランクインするかで話題に。結果、先に柏原が12月3日に第7位で初登場し(松本はその翌週ランクイン)、計8週ランクインするヒットに。



 83年1月に発売されたのが「春なのに」である。当時既に「悪女」のヒットをはじめ、オリジナルアルバムが立て続けにチャート1位を記録するなど人気アーティストの地位を確立していた中島みゆきが作詞・作曲して提供。話題性は十分で、卒業シーズンに合わせて発売され、すぐにベストテンにランクイン。最高2位を記録し、計9週ランクイン。柏原にとって「ハロー・グッバイ」と並ぶ代表曲になった。柏原はこの年の「第34回NHK紅白歌合戦」に初出場。ザ・ベストテンと同じく、黒柳徹子の司会に曲紹介されて「春なのに」を歌った。

 この曲は、卒業していく男子生徒との別れの場面を、女子生徒の視点から歌ったもの。友情以上の想いを打ち明けるつもりだったが、相手との気持ちの絶対的な温度差に気付いてしまい、言い出せないまま恋心に終止符を打つ…といった内容だ。情景描写をほとんどしていないにもかかわらず、卒業式当日の喧騒や寂寥感を見事に切り取り、2人のそれまでの関係性が浮かび上がる、秀逸な歌詞。そして「春なのに」と何度も繰り返す、美しく切ないメロディーが印象的である。

 発売当時、柏原芳恵は高校2年の17歳。歌のイメージに合わせ、歌番組ではセーラー服を思わせる衣装で歌うことが多かった。歌の内容と、リアルタイムの学生である彼女がシンクロし、さらに憂いを帯びた歌唱力によって強い説得力を持ち視聴者に伝わったことは想像に難くない。2番の歌詞にある「(制服の第二)ボタンを記念にもらう」という卒業式お決まりの慣習は、この歌のヒットによって広く浸透したとも言われる。サビ部分だけ見れば、卒業に限らず普遍的な春の別れの歌と捉えることもでき、今も時代を超えて愛され、歌い継がれている名曲だ。

 中島みゆきは、この曲の後も柏原にシングル曲として「カム・フラージュ」「最愛」「ロンリー・カナリア」を提供。中島が歌うバージョンは、セルフカバーアルバムで聴くことができる。

 柏原芳恵といえば80年代当時、浩宮さま(現・皇太子さま)が彼女のファンであることを公言したことでも話題に。86年10月には、都内の会場に公式に出向いてリサイタルを鑑賞。出迎えた柏原に、バラを一輪プレゼントした。そのバラは、フランス大統領から贈られた貴重な品種で、柏原はそれをドライフラワーにし、「家宝」として大切に保管しているそうである。

 現在も柏原芳恵は歌番組やディナーショーで歌手活動を続けており、「春なのに」を含む数々のヒット曲をファンに聞かせている。

ザ・ベストテン☆エピソード
「ハロー・グッバイ」で柏原芳恵が初ランクインした81年12月3日は、ザ・ベストテンの放送200回記念回でした。スタジオにはいつものオーケストラを前に丸テーブルが多数並べられ、歴代の出演歌手が出席して、さながらパーティー会場の様相に。お祝いの意味を込め、柏原芳恵や松田聖子は着物で登場して歌いました。
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