いろいろわかる… 新浜レオン ロングインタビュー! デビューまでのプロフィールも!「本当に奇跡だと思ってますね…」2019年 令和初日にデビューして 5年目! 6作目となる最新シングル『全てあげよう』が全5形態で 2024年3月27日に発売! マイナー調アップテンポの 西城秀樹 風!
インタビューの最後に、直筆サイン色紙 の 読者プレゼントあり!
Niihama Leon
新浜 レオン
6th Single『 全てあげよう 』
★ 2019年 令和初日にシングル『離さない 離さない』でデビューして 5年!
★ 西城秀樹 をイメージさせる 大人気の歌謡曲歌手!
★ 父は「♪ は か た の 塩」の CM で知られる演歌歌手!
★『捕まえて、今夜。』に続く 6作目となる最新シングル『全てあげよう』!
★ マイナー調アップテンポの 西城秀樹 風!
★ 高校まではプロ野球選手を目指し、大学卒業後 わずか 1年で歌手デビュー!
★「本当に奇跡だと思ってますね…」
■ シングル リリース情報
■ コンサート Blu-ray リリース情報
新浜レオン『新浜レオン 5周年記念コンサート』
LIVE Blu-ray
2023年 11月22日 発売
JBXK-5001
¥7,920円
海峡レコード / Being
01 捕まえて、今夜。
02 ダメ ダメ…
03 ネオン☆ナイト
04 サヨナラを君に言わせて
05 心奪って
06 私鉄沿線
07 ギャランドゥ
08 激しい恋
09 情熱の嵐
10 夜のおはなし
11 どんなに愛したとしても
12 上を向いて歩こう
13 待っている女
14 夜明けのブルース (w/五木ひろし)
15 糧
16 さよならを決めたのなら
17 佐原の町並み
18 夏の楽園
19 君を求めて
20 ジェラシー ~運命にKissをしよう~
EC1 捕まえて、今夜。
EC2 離さない 離さない
*2023年 5月11日 LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)
DVD リリース詳細 Musig(B ZONE)
新浜レオン オフィシャルサイト
新浜レオン 歌詞一覧
■ レギュラー番組 情報
「ドシラソファミレオン♪」(地上波テレビ)
チバテレビ 毎週 月曜日 21:00 〜 21:30 (日曜 16:00~16:30 再放送)
札幌テレビ放送 毎週 月曜日 25:29 〜 25:59
宮城テレビ放送 毎週 日曜日 25:30 〜 26:00
青森テレビ 毎週 日曜日 05:30 〜 06:00
琉球朝日放送 毎週 月曜日 26:05 〜 26:35
KBS京都 毎週 金曜日 09:00 〜 09:30
三重テレビ 毎週 月曜日 06:30 〜 07:00
「特選!うたわたり 新浜レオンの歌を聴いておくレオン!!」(ラジオ)
STV ラジオ 毎月 第2 月曜日 18:30 〜 19:00
「ナオキとレオンの熱唱野球部」(テレビ CS放送)
CS「チャンネル銀河」 土曜日 21:00 〜 22:00 (不定期放送)
■ いろいろわかる… 新浜レオン ロングインタビュー!
新浜レオン という歌手は、まさに、西城秀樹 や 野口五郎、郷ひろみ といった昭和のアイドル歌手の現代版のような存在だ。当時、アイドル歌手と言われてはいたが、いずれも、超一流の作家陣によるキャッチーな楽曲を歌う、実力を兼ね備えたシンガーたちだった。
現在、27歳(2024年4月7日現在)の 新浜レオン は、小さい頃から、そういう 西城秀樹 らをはじめとする昭和歌謡曲が好きだった。一方、父親が「♪は か た の 塩」の CM で知られる演歌歌手、髙城靖雄(たかじょう やすお)であったことから、子供の頃から演歌も好きだった。
プロ野球選手を目指して小学校から野球を始め、地元 千葉県の高校ではキャッチャーでキャプテンを務めた。千葉県ベスト 4 という成績で、甲子園とプロ野球選手への夢は破れたが、子供の頃から感じていた「演歌や歌謡曲を若い人にも広めたい」という思いから、歌手になることを決意した。
新浜レオン の場合、「演歌 第七世代」というくくりで紹介されることも少なくないが、正確には「演歌歌手」ではない。これまで発売されたシングル曲は、デビュー曲の『離さない 離さない』(2019年)をはじめ、『君を求めて』(2020年)、『ダメ ダメ…』(2021年)、『さよならを決めたのなら』(2021年)、『ジェラシー 〜運命にKissをしよう〜』(2022年)、『捕まえて、今夜。』(2022年)、『どんなに愛したとしても』(2023年)と、いずれもポップスや歌謡曲と言われるような曲ばかりで、いわゆる演歌と呼べるような曲は 1曲もない。
たとえば、西城秀樹 や 野口五郎、郷ひろみ らを「演歌・歌謡曲歌手」と呼ぶのであれば、新浜レオン も「演歌・歌謡曲歌手」となるが、「歌謡曲歌手」あるいは、ただ単に「歌手」と呼ぶのが適当だと思う。新浜レオン 自身も、「演歌歌手」と呼ばれることに多少の違和感を持ちながらも、あえて、そういうことを正面から否定しないところがクレバーでもある。
いずれにしろ、昭和のアイドル歌手のような「スター性」を持ち、西城秀樹 らのヒット曲も手がけた 作曲家・馬飼野 康二(まかいの こうじ)らによるポップでキャッチーな曲を歌う 新浜レオン は、まさに、昭和のアイドル歌謡曲歌手だった 西城秀樹 のような歌手が、現代に甦ったかのような存在だ。実際、新浜レオン は、西城秀樹 のファンサイトでも応援されている。「演歌 第七世代」とくくられる「演歌を歌う若い男性歌手」が数多く出てきている中、「演歌でもなく、流行りの J-POP とも違う」というポジションに立つ人は、新浜レオン の他にいない。そういう唯一無二の存在だ。
「ZARD」、「B'z」、「WANDS」、「DEEN」、「T-BOLAN」、大黒摩季、倉木麻衣 …… らで知られる音楽プロダクションとレコード会社が一体となった「Being」からデビューしたことも良かった。およそ「演歌・歌謡曲」とはほど遠いからこそ、限りなく「演歌 第七世代」に近いところにいながらも、独自の展開ができている。実際、たとえば、「ハローキティ」で世界的に知られる「サンリオ」が、新浜レオン をモデルにしたキャラクター「れおすけ」を制作している。
そういう資質や背景だけでなく、もちろん、その歌声もいい。プロの歌手に必要なものは、「歌唱力」よりも、まず「魅力的な歌声」だ。「うまいね」と言われるのではなく、「好き」と言ってもらわなければ商売にならない。新浜レオン の歌声は、耳障りが良く、こもるような低い方の倍音が少ないから、ヌケがよく言葉がクリアに聴こえる。強く張るところもチカラでなく響きで歌っているから心地よく、やわらかさもある。高く張った声が印象的だが、実は、中域の響きも魅力的だ。
そして、何より、新浜レオン の人気の理由は、滲み出ている「スター感」だろう。音楽番組で「レオン語」を言ったりと、初めて見た人には、一見、軽く見えるかもしれないが、それは本質とは違う。新浜レオン は、素直で礼儀正しく、真面目でクレバー、そして、さわやかで嫌味がないから、誰からも愛される。
ステージでは、物怖じせず堂々としていて、テレビ番組などで大御所の先輩歌手と共演した時でも、恐縮したり萎縮したりすることもなく、決して負けていない。いつも元気で溌剌としていて、休みもないほどの忙しいスケジュールをこなしながらも、舞台裏でも決して疲れた顔を見せない。
令和の初日、2019年5月1日にシングル『離さない 離さない』でデビューし、年末には「第61回 日本レコード大賞」で「新人賞」を受賞、翌 2020年に発表された「第34回 日本ゴールドディスク大賞」でも「ベスト・演歌/歌謡曲・ニュー・アーティスト」を受賞。今年、2024年5月でデビューから丸 5年となる。
先日、2024年3月27日に発売された 通算 6作目となる最新シングル『全てあげよう』は、マイナー調アップテンポの歌謡曲で、まさに、1970年〜80年代に 西城秀樹 が歌っていたかのようなメロディとサウンドになっている。サビの「♪この命 燃やそう 君だけに あげよう」の歌声が耳に残るいい曲だ。
新浜レオン と同じく 西城秀樹 の大ファンである「とんねるず」の 木梨憲武 がプロデュースし、タレントとして知られるが、もともとシンガーソングライターである 所ジョージ が作詞・作曲を担当した。木梨憲武 が名付けた「帰ってきた!スター系歌謡ロック!」は、まさに、ぴったりのキャッチコピーだ。
<もくじ>
1 往年の 西城秀樹 を彷彿とさせるような新曲『全てあげよう』
〜「幸せな曲ですね…」〜
2 ミュージックビデオは、公開後 1ヶ月で 80万再生超え
〜「自分らしさとして出るのかなと…」〜
3 野口五郎、もんたよしのり らとも共演
〜「もう忘れられないですよね…」〜
4 デビュー 5周年、若い世代にも演歌歌謡曲を伝えたい
〜「僕のデビューしたテーマでもあるんですけど…」〜
5 高校までは、プロ野球選手を目指していた
〜「印象的というか思い出に残ってますね…」〜
6 大学に通いながらテレビ番組のアシスタント出演
〜「まあ、どっかにはあったのかもしれないですね…」〜
7 デモテープをきっかけに、1年足らずで歌手デビュー
〜「本当に奇跡だと思ってますね…」〜
8 実際は "演歌歌手" ではなく "歌謡曲の歌手"
〜「"父のおかげで今がある" と思ってるんで…」〜
1 往年の 西城秀樹 を彷彿とさせるような新曲『全てあげよう』 〜「幸せな曲ですね…」〜
ーー 前作、2023年5月に発売された『捕まえて、今夜。』(作詞:EARSY / 作曲:馬飼野康二、鎌田俊哉 / 編曲:船山基紀)は、2nd シングル『君を求めて』(2020年)、3rd シングル『ダメ ダメ…』と同じく、新浜レオン が大好きな 西城秀樹 のヒット曲『激しい恋』『傷だらけのローラ』『ブルースカイ ブルー』などを作編曲した 馬飼野 康二(まかいの こうじ)が作曲を担当した、キャッチーないい歌だった。サビの「♪ごめん その一言で許されるなら 見つけられて 見つめられて 満たされていく」が心地よく耳に残る。
ーー そして、通算 6作目となるシングル『全てあげよう』(作詞・作曲:所ジョージ / 編曲:大平勉)が、2024年3月27日に発売された。往年の 西城秀樹 の曲を彷彿とさせるようなサウンドとメロディのマイナー調アップテンポの歌謡曲で、前作の『捕まえて、今夜。』と同じく、サビの「♪この命 燃やそう 君だけに あげよう」が耳に残る。
ーー 新曲『全てあげよう』は、新浜レオン と同じく、西城秀樹 の大ファンである「とんねるず」の 木梨憲武 がプロデュースし、タレントとして知られるが、もともとシンガーソングライターである 所ジョージ が作詞・作曲を担当した。木梨憲武 のラジオ番組『土曜 朝6時 木梨の会。』に 新浜レオン がゲスト出演したことがきっかけだった。
新浜: はい、きっかけはそうですね。昨年(2023年)の 12月の最初の土曜日に、その『木梨の会』(『土曜 朝6時 木梨の会。』)の出演のオファーをいただいて、木梨(憲武)さんとはそこが初対面だったんです。初めてなので、本番前に自分のライブ Blu-ray に名前を書いて「よろしくお願いします」って言ったら、(木梨さんは)『新・BS日本のうた』とか、BS の演歌歌謡の番組をいつも見ていらっしゃるという話で、「いや、レオンくんも BS つけると、結構、出てるから〜、知ってるよ!」って言っていただいて、「え〜っ!」ってなって……。で、「レオンくん、とくに 西城秀樹 さんの曲が好きで、リスペクトして歌ってるでしょ?」ってなって、「歌ってます! 歌ってます! そんなところまで知っていただいて!」って言ったら、「まあ、オレの『ギャランドゥ』の方が上だけどね〜」って言われながら……(笑)、そういうやりとりが本番前にあったんです。
新浜: で、(番組の)本番に入ったら、所(ジョージ)さんもいらっしゃって、木梨(憲武)さんが僕の紹介をしてくれて、「レオンくんは、西城秀樹 さんがとにかく好きでリスペクトされてて」っていう話をして、「所さんさぁ、レオンくんに ヒデキさん風の曲 作ってよ!」っていうトークがあったんですよ。
新浜: でも、とは言え、そんな、できるなんてっていう想像できないじゃないですか。と思ったら、ラジオ出演の 2日後に、僕のマネージャーさんのもとへ 木梨(憲武)さんのスタッフさんから連絡があって、「木梨さん本人が、新浜レオンさんと直接話をしたいって言ってます」っていう話だったんですよ。 なので、電話を直接かけさせてもらって、そしたら、「この間は、ラジオ出てくれてありがとう」って言われたので、「いや、こちらこそ、本当にありがとうございました」って言ったら、「そしてさ、レオンくん、もう曲できたから」っていう電話だったんです。
新浜: 2日後ですよ。で、「え〜っ!」ってなって、「いや、もうできた、できた。あんまりにもいい曲で、それこそ ヒデキさん風の曲が出来ちゃったから、とりあえず、レオンくん歌う前に俺が歌っておくわ」って言ってて……(笑)。そしたら、本当に 1週間後には、木梨(憲武)さんの歌入りのデモが……、もう、それを仮って言ったら、もう駄目なくらいの……、あのイントロのアレンジもされてた音源が来たんです。
新浜: もう完成系に非常に近い状態で……、いやいや、これもうデモというよりか、もうスゴすぎて……、木梨(憲武)さんの歌、そして、Dメロとか、セリフのところを 所ジョージ さんが歌ってる音源で。で、翌週の『木梨の会』(『土曜 朝6時 木梨の会。』)で、もうその音源を放送しちゃったんですよ〜。だから、もう、ハードルがぐわ〜っと上がっちゃって……。で、僕もそれを聴いて覚えて、もう 1週間後にはレコーディングさせてもらって……、みたいな流れだったんです。
ーー ラジオ番組での共演がきっかけとなり、同じく 西城秀樹 の大ファンだった 木梨憲武 が、新浜レオン に 西城秀樹 の匂いを感じ、西城秀樹 のような楽曲をプロデュースしたかったのだろう。
新浜: 初めて僕も聴かせてもらったときから、イントロから、もう、大好きな(西城)秀樹さんの香りがしてて……。で、(レコーディングで)ドラム叩いてるのが、当時の(西城)秀樹さんのバンドでやってらした 渡辺 豊 さんなんですよ。なので、なんかそのへんの……、なんだろう……、繋がりというか、匂いというか……、もうイントロからビシバシ感じて……。で、(曲中の)セリフとかも……、僕の曲の中でセリフ入りの曲がなかったんですけど、(西城)秀樹さんの曲の中で『ちぎれた愛』(1973年)とかも大好きだったので、あのセリフの部分とかも、「どうやって歌おうかな」なんてそんな想像しながらデモを聴いてて……、いやあ〜、もう、これ以上ないくらい大好きな(西城)秀樹さんの雰囲気を感じながら歌える幸せな曲ですね。
ーー 歌録りのレコーディングには、プロデューサーの 木梨憲武 も、作詞・作曲をした 所ジョージ も立ち会った。
新浜: はい。もう、木梨(憲武)さんからは、「とにかく、西城秀樹 さん風に熱く行け!」と。「もう、ガンガン攻めに攻めて!」っていうような雰囲気が一番強くて、所(ジョージ)さんは、現場には必ず来てくださるんですけど、案外、何も言わないんですよ。
新浜: でも、とは言え、やっぱり、所(ジョージ)さんの作詞・作曲なので、「ここのニュアンスは、もうちょっと強い方がいいですかね? 弱い方がいいですかね?」って、僕も、結構、逆に質問をするようにしてて、「まあ、こっちの方がいいんじゃない」とか「あっちの方がいいんじゃない」って言うんですけど、最終的には、「もうレオンくんの曲なんだから、俺があげた曲なんだから、好きなように歌えばいいよ」っていうような声をかけていただいて……、そんな感じのレコーディングでしたね。
ーー しかし、意外と時間がかかった。
新浜: そうですね〜……、まあ、なんだかんだで、結構、テイクは録って……。と言うのも、実は、木梨(憲武)さんが歌った音源より(キーを)半音上げてるんですよ。1回、木梨(憲武)さんのバージョン(キー)で歌って、そしたら、木梨(憲武)さんから、「キー上げた方がいいかな」ってことで、「半音上げ」とか「全音上げ」とかいろいろそのへんの調整もしたりとか……。で、あと、そっから、(渡辺)豊さんのドラムも、「いや、もうちょっと行きたいね〜!」みたいな感じで叩き直してもらったりとか……。
ーー 通常、カラオケは事前に録り終えているもので、歌録りの日に録り直したりはしないが、プロデューサーの 木梨憲武 の意見で、それをやったということだ。
新浜: はい、それもありました。歌録りの日にドラムを録り直したりとか、あとは、ギターとかベースとかも……、あと、トランペットとかも生で入れたりして……、なんか、どんどん、「やっぱり生いいよね〜」って、そのへんのオケ録りとかも、結構、やってたんで、年末まで……、とは言え 1ヶ月ぐらいでは、ほとんどできちゃった感じですけど。
ーー サビのコーラスは、木梨憲武 も 所ジョージ も歌っている。
新浜: 入ってます。木梨(憲武)さんも入ってるし、所(ジョージ)さんも入ってると思いますね。いや〜、もう、ホント感動ですね。あの……、『DayDay.』(日本テレビ系の情報番組)で、テレビ初披露したんですけど(2024年2月6日)、あの日も、木梨(憲武)さんがコーラスで入っていただいて、所(ジョージ)さんも参加していただけるなんて、こんな夢のようなスタートはないなと思ったので、ホントに感謝しています。
2 ミュージックビデオは、公開後 1ヶ月で 80万再生超え 〜「自分らしさとして出るのかなと…」〜
ーー CD の発売に先駆け、2024年3月8日に YouTube で公開された『全てあげよう』のミュージックビデオは、新浜レオン の地元、千葉県にあるアミューズメントパーク「大慶園」で撮影された。公開後、約 1ヶ月で、すでに再生回数は 80万回を超えている(2024年4月7日現在)。
新浜: ああ……、ありがとうございます。なんか、いい感じで。
ーー 最後のサビでは、膝でスライディングする「膝スラ」が見られる。これも、西城秀樹 のようなアクションをイメージしていた プロデューサー 木梨憲武 のアイディアだった。
新浜: そうです、もう直伝です……(笑)。で、もう「絶対にやれ」と、ず〜っと言われてたんですよ。レコーディングときから、「こうだよ〜」みたいなこと言われてたんですけど、とは言え、なかなか……、あの……、『DayDay.』の日も、やらずに……。
新浜: で、あの『DayDay.』の番組終わりで、いよいよ、本当に「やりなさい、やりなさい」と。 MV(ミュージックビデオ)の撮影のときも、「わかってるか?」って言われてて……(笑)。で MV(ミュージックビデオ)でも「膝スラ」入れて、そのあと、『うたコン』(NHK総合テレビ)の日に初めて「もうここで解禁しよう」ということで、思い切ってやりました(2024年2月20日 放送)。
新浜: で、また、それを、結構、記事とかでも取り上げていただいたりして、なんか、新浜レオン として歌以外でも……、なんだろう……、「ああ、あの歌は "膝スラ" だよね」みたいなことに、少しでも繋がればいいなと思っています。
ーー 往年の 西城秀樹 や 沢田研二 らも、歌以外に衣装や振り付けなども話題になったものだ。
ーー 今回、新曲『全てあげよう』は、それぞれ、ジャケットとカップリング曲が違う 全 5タイプ、「アモーレオン盤」「コングラッチュレオン盤」「繋がレオン盤」「惚れ惚レオン盤」「ゆらレオン盤」で同時発売された。それぞれのカップリング曲 5曲、『Love story』『結婚式に歌う唄』『恋人になる3日前のお話し』『好きって何度も言う』『月あかり』も、タイトル曲の『全てあげよう』と同じく、全て 所ジョージ が作詞・作曲を担当した。『結婚式に歌う唄』はミディアムテンポの曲だが、ほかの 4曲は全てバラードだ。
新浜: そうなんですよ。でも、実は、10曲ぐらい録りました。
ーー ということは、今回、収録されていない曲があるということで、おそらく、それらは、今後、リリースされるのだろう。
新浜: そうなんです。いっぱいストックがあります……(笑)。アップの曲もあります。
ーー タイトル曲の『全てあげよう』は、新浜レオン らしい、勢いのある張った歌声が印象的な曲だが、カップリング曲は対照的に、いずれも、やさしい感じの歌声が魅力だ。2023年に発売された、メジャー調の王道ポップス・ピアノバラード曲『どんなに愛したとしても』(作詞:松井五郎 / 作曲:長戸大幸 / 編曲:CHOKKAKU)を聴いた時にも感じたが、中低音の明るい響きの歌声にも色気があっていい。
新浜: あ〜、ありがとうございます。そうですね〜、バラードとかも……、まっ、番組とかでも、基本的には、結構、アップの曲を選んでいただくことが多くて、なんか、新浜レオン って聞くと、振り付けとか、なんかそういうイメージを持っていただくこともあるんですけど……。
ーー たとえば、『Love story』では「♪帰宅時間を言ってなかったり」というように、所ジョージ らしい歌詞も楽しい。
新浜: そうですね、なんか、このへんの 所(ジョージ)さんの直球の詞の世界とかも、これまであんまり歌ってなかったんで、ぜひ、楽しんでいただきたいですね。
新浜: でも、最初、デモでは、所(ジョージ)さんの歌で聴かせていただいたんですけど、やっぱり、独特の「所さん節」があるので、それを、「どう自分に落とし込むか」みたいなのは、かなり苦戦をしたんです。でも、まっすぐに、あんまり……、なんだろう……、変に技を使うとか、そういうことよりも、詞の世界のようにまっすぐ歌うことが、自分らしさとして出るのかなと思って歌いました。
ーー 魅力的な響きで、言葉を伝えるように、やさしく、さらっと歌っているのがいい。
新浜: ありがとうございます。
3 野口五郎、もんたよしのり らとも共演 〜「もう忘れられないですよね…」〜
ーー デビュー曲の『離さない 離さない』から、前作のシングル『捕まえて、今夜。/ どんなに愛したとしても』まで 5作(両A面を含め全8曲のタイトル曲)、タイプ違いを含め計17枚のシングルがリリースされているが、これまでのカップリング曲の中には、『情熱の嵐』(1973年)、『激しい恋』(1974年)、『若き獅子たち』(1976年)といった 西城秀樹 のヒット曲をはじめ、『青春時代』(森田公一とトップギャラン、1976年)、『また逢う日まで』(尾崎紀世彦、1971年)、『私鉄沿線』(野口五郎、1975年)、『時の過ぎゆくままに』(沢田研二、1975年)……など、1970年代の名曲カバーも多く収録されている。
新浜: はい、基本的には、もう僕が選ばせてもらってて……、まあ、もちろん、スタッフの方とも相談しますけど。ただ、どうしても、僕が選ぶと(西城)秀樹さんの曲ばっかりになるので……(笑)。まあ、(西城)秀樹さんをはじめ、「新御三家」(西城秀樹、野口五郎、郷ひろみ)のみなさんがとにかく好きなんで……、『私鉄沿線』もそうだし、郷(ひろみ)さんの曲も大好きですね。
新浜: で、『うたコン』(NHK総合テレビ)とかもそうなんですけど、そういう曲をテレビで歌えるっていうのもすごく光栄なことで、この間は、沢田研二 さんの『TOKIO』を歌わせてもらったりとか、はたまた、『新・BS日本のうた』(NHK BS)とかだと、結構、普段だったら絶対歌わないような演歌系を歌わせていただく機会も多いじゃないですか。そこでは、僕のいろんなとこを引き出してくれたりとか……。
新浜: でも、まあ、どこまで行っても、やっぱり僕は、父が演歌歌手なので、演歌歌謡っていうのが軸に絶対にあって、今後も、そこは絶対にブレちゃいけないと思ってるんですけど、でも、やっぱり、この「Being」「B ZONE」からデビューさせてもらったいいところを……、「B'z」さんだったりとか、大黒摩季さんとか、同じレコード会社にこんなに素晴らしい先輩がたくさんいるので、そういう先輩のいいところをたくさん吸収するっていうことが、これから大切だと思ってます。
ーー これまでの CD には収録されていないが、以前、番組で歌っていた『よろしく哀愁』(郷ひろみ、1974年)も、新浜レオン のいいところがよく出ていた。
新浜: ホントですか、ああ……、ありがとうございます。あの曲も大好きです。郷(ひろみ)さんのああいう『哀愁のカサブランカ』とか、アップじゃないあっちもいいですよね。で、(西城)秀樹さんも同じく、まあ、もちろん『情熱の嵐』とか『激しい恋』とか、ああいうポップなのも好きなんですけど、『ブルースカイ ブルー』とか『若き獅子たち』とか『遙かなる恋人へ』とか、ああいう(西城)秀樹さんのバラードもすごい好きで……、なんか、もう(西城)秀樹さんの曲を言ったらキリがないくらい大好きです。
ーー デビューした 2019年、『うたコン』(NHK総合テレビ)に初出演した時には、野口五郎 と『私鉄沿線』(1975年、野口五郎)で共演した。
新浜: いや〜、ホントに……、それこそ『私鉄沿線』は、このレコード会社に所属が決まって、その当時、まだデビュー曲も制作されてないときに、「ちょっと 1回レコーディングしてみよう」ってなって、「なに歌いたい?」って聞かれたときに言ったのが『私鉄沿線』だったんですよ。なので、初めてレコーディングした曲が『私鉄沿線』で、初めて『うたコン』(NHK総合テレビ)に出演させてもらったのがこの『私鉄沿線』なんですよ(2019年11月5日 放送)。それで、(野口)五郎さんと一緒に歌えたっていうのは、もう忘れられないですよね。
新浜: そして、そして……、やっぱ、もんた(よしのり)さんとの『ギャランドゥ』(西城秀樹、1983年、作詞・作曲:もんたよしのり)、これもね〜、やっぱり忘れられないですね〜(2023年9月26日 放送『うたコン』)。
ーー 『うたコン』(NHK総合テレビ)で もんたよしのり と共演した時に限らず、いつもそうだが、新浜レオン は、テレビ番組などで大御所の先輩歌手と共演した時、恐縮して引いてしまうことなく、遠慮することもなく、堂々としていて、負けてないところがいい。心から、その瞬間を楽しんでいるように見える。そういうところからも「スター性」を感じる。
新浜: ああ〜、ありがとうございます。僕、あの時、もんた(よしのり)さんと初めてお会いさせてもらったんですけど、もう、パッションと、持ってるオーラと言うか、支配感がすごかったので、「これ、ちょっとでも自分が引くと完全に飲まれて、何のためデュエットしてるのかわかんなくなっちゃう」と思ったので、必死にくらいついていきました。
4 デビュー 5周年、若い世代にも演歌歌謡曲を伝えたい 〜「僕のデビューしたテーマでもあるんですけど…」〜
ーー 昨年、2023年は、『捕まえて、今夜。』で一気にファン層が広がった。その前年の 2022年10月から、アニメ『名探偵コナン 犯人の犯沢さん』のオープニング主題歌となっていたこともあり、また、新浜レオン の魅力がよく出る楽曲の良さに加え、「窓拭きダンス」と呼ばれたサビの振り付けも話題となった。テレビなどでの露出もどんどん増え、2023年10月からの TBS系「日曜劇場」で放送されたテレビドラマ『下剋上球児』にもレギュラー出演者として登場し好演を見せた。そういうファン層が広がった感触はあるのだろうか?
新浜: めちゃくちゃあります。やっぱり、今、フリーイベントをすると、もう小さいお子さんから、はたまた学生のみんなとか、もう普通に来てくださったりとかしますし。で、この『捕まえて、今夜。』は、「TikTok」で「踊ってみた動画」が、もう高校生とか、はたまた海外の皆さんとか、ジャンル問わず、男女問わず、日本のみならず、踊っていただいてるという状況もあって、1億回(再生)を突破して、かなり変わってきている実感もありますね。
ーー 令和の初日、2019年5月1日にシングル『離さない 離さない』でデビューし、今年、2024年5月で、デビューから丸 5年となる。昨年、2023年5月11日、自身 27歳の誕生日には、「5周年記念コンサート」が、東京・渋谷の「LINE CUBE SHIBUYA」(渋谷公会堂)で開催された。そのコンサートには、サプライズで 五木ひろし も登場した。
新浜: はい、本当に(サプライズで)知らなかったんです……、いや、恐ろしいですよね……(笑)。ある程度、僕も、たとえば、「もし(ステージで音響の)モニターが切れちゃったら……」とか、たとえば、「なにか照明が……」とか、そういう「もしもの想定」ってある程度するんですけど、五木(ひろし)さんが来る想定なんてしないじゃないですか……(笑)。もう、だから、何が起こってんのかわかんなくて……(笑)。それで、(五木ひろしの)『夜明けのブルース』を一緒に歌わせてもらったんですけど、学生時代に歌手を志して初めて人前で歌ったのが『夜明けのブルース』だったんですよ……、高校 3年の時ですね。
新浜: (『夜明けのブルース』は)もう父親がよく歌っていたり、「紅白」でも見てたりしてて……、で、みんなで「♪ここは 松山〜 松山〜」ってあの掛け合いがね……。それこそ、演歌歌謡って聞くと「古い」とか「昭和」とか、学生時代からずっと言われてて、それがなんか悔しかったんですよね。
新浜: どうして、演歌歌謡というだけで、そこでシャットアウトされちゃうのかなっていうのがすごく悔しかったんで、この若い世代にも伝えたいっていうのが、ある意味、僕のデビューしたテーマでもあるんですけど、そんなときに、すごくイメージできたのが、『夜明けのブルース』で、「この『夜明けのブルース』の掛け合いだったら、若い人たちも一緒に楽しめるから」みたいなところ持って、歌わせてもらったんです。
ーー そのコンサートでは、もともと、新浜レオン がひとりで『夜明けのブルース』を歌う予定になっていた。
新浜: はい。で、そういう気持ちを持ちながら大切に『夜明けのブルース』を歌って、1番を歌って、間奏で気持ちよ〜く手を振って、「さあ、間奏を終えて 2番にいこう」と思ってたら、そしたら、なんか、お客さんが手を振っている先がステージの奥なんですよ。「なんで僕の方見ないんだろう?」って思いながら後ろ見たら、(五木ひろしが)いらっしゃったっていう……(笑)、もう震えましたね……、何が何だかわからないぐらい……(笑)。
ーー 五木ひろし からは、自分が着ていた衣装もプレゼントされたりもしている。
新浜: そうなんですよ〜、ホント、ありがたいです。本当に、五木(ひろし)さんには……、この間とかも、『新・BS日本のうた』(NHK BS)の収録で、それこそ『捕まえて、今夜。』を一緒に踊ってくださって……、いや〜、もう本当に感謝です。
ーー その「5周年記念コンサート」では、母校「千葉英和高校」ダンス部との共演も果たした。さらに、2023年9月には、同じく母校である「大東文化大学」の「創立百周年式典」にも参加した。リモート式典の中のコンテンツとして、『捕まえて、今夜。』で現役学生と共演した動画が公開された。
新浜: そうなんです。たまたま呼んでいただいて、学生の有志の方々が一緒に踊っていただけるみたいな企画と、「大東文化大学」の校歌を歌ってほしいみたいなことをいただきました。
新浜: やっぱり、母校と繋がれるし……、やっぱり、僕を育ててくれたのは「千葉英和高校」もそうですけど、「大東文化大学」もそうだし、本当に自分の……、なんだろう……、いろんな意味で世界を広げてくれた本当に感謝している母校なんで、そのお世話になった母校と、こういった形で繋がれるということは、もうこれ以上ないほど幸せを感じますね。
5 高校までは、プロ野球選手を目指していた 〜「印象的というか思い出に残ってますね…」〜
ーー 小学校のころから、プロ野球選手を夢見て野球を始めた。
新浜: え〜っとね〜……、でも、やっぱり、地元、千葉県なんで、小学生のころは、ロッテの里崎(智也)選手とか、僕は右(打ち)なんですけど打ち方を真似した福浦(和也)選手とか……、まっ、今江(敏晃)選手とか、ベニー(アグバヤニ)選手とか、あの当時のロッテが僕はとくに好きだったですね。
ーー 物心ついたころに好きだった歌を聞いた。
新浜: あ〜……、やっぱり、『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』(西城秀樹、1979年)とかですかね。これはですね、あの、父親が演歌歌手で、父が憧れてる歌手って(西城)秀樹さんだったんですよ。なんで、コンサートで、自分の歌はもちろんですけど、父もその先輩方のカバーをある程度歌っている中のひとつで(西城)秀樹さんの曲も歌ってたんです。
新浜: で、父は、結構、わりと演歌でもしっかりとした演歌を歌う人なので、ああいう『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』を歌ってるのを見て、「ああ、こんな明るい曲、なんだろう?」みたいな興味があって、それがきっかけで、(西城)秀樹さんの曲は僕も聴くようになったんです。だから、『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』とか『ギャランドゥ』とか、ああいう王道のものは、小学生のころから知ってましたし大好きでした。
ーー 初めて自分で買った CD は、何だったのだろう?
新浜: これはですね、「TOKIO」さんの『LOVE YOU ONLY』(1994年)ですね……、たしか。ま、実は、その前に……、これは、息子だから言うのはちょっと恥ずかしいんですけど、本当の最初って言えば、父親の CD なんですよ。なんか、CDショップに父の CD が並んでるのが嬉しくて、そこで、自分のお金で父親の曲を、『男龍』(2000年)って CD を書いました。
ーー 父の 髙城 靖雄(たかじょう やすお)は、大学卒業後に作詞家・荒木とよひさ の弟子となり、1987年にキングレコードからシングル『日本海'88』(作詞:荒木とよひさ / 作曲:吉幾三)で演歌歌手としてメジャーデビューしている(当時の芸名は 水原達矢)。「新宿音楽祭新人賞」や「全日本有線放送新人賞」を受賞し、その後、1995年には、芸名を 髙城靖雄 に戻し、テレビコマーシャルの「クール宅急便」では 吉幾三 と共に出演している。そして、1996年からは、「伯方の塩」のイメージキャラクターとして、テレビコマーシャルにも出演。「♪は か た の 塩」として知られるようになり、2013年には『笑っていいとも!』にも出演した。
ーー 新浜レオン が買ったという『男龍』は、「伯方の塩イメージソング」として 2000年に発売された曲。先日、2024年2月28日には、その『男龍』の続編とも言える『北の龍神』(作詞:美樹克彦 / 作曲:岡 千秋 / 編曲:南郷達也)が発売されている。
新浜: あ〜、なんか似てる曲がなんとかって言ってました……(笑)。
新浜: まあ、でも、当時、『LOVE YOU ONLY』は好きでしたね。もしろん、演歌歌謡は好きだったんですけど、「TOKIO」さんとか「SMAP」さんとかは、すごい好きでした。
ーー そもそも、小学校のころは、父親が演歌歌手であるということを、どう思っていたのだろう?
新浜: う〜ん……、いや、まあ、まわりの友達からも、「おまえんち、歌手でさあ……」とか……、で、とにかくみんなから「伯方の塩」って言われるわけですよ。で、僕も、3歳くらいの時に「伯方の塩」のコマーシャルに出させてもらったりしてて、で、そういうのもあって……、う〜ん……、なんだろうな……、なんか、目立つことが当たり前というか、自分も好きだったんで……。
新浜: それこそ、父親のコンサートに行ったら、「人前で歌って話して」っていうことに、やっぱ少し憧れを持っていたのか……、学級委員長とか応援団長とか、もちろん野球部のキャプテンとか、そういうことを積極的にやったりもしてました。
新浜: ただ、演歌歌手の父がいたんで、全然、イジリなんですけど、「昭和の男」ってやっぱり言われ続けてたんすよ。だから、なんか笑って「いやいやいや、違うよ〜」なんて、その場はやり過ごしてても、「いつか、この演歌歌謡でも古いって言わせない」って思って学校生活を過ごしてたのは、やっぱり印象的というか思い出に残ってますね。
ーー 小さい頃、父のコンサートで、『大きな古時計』を歌ったり、『マツケンサンバ』を父のバックダンサーとして踊ったりしたこともあったようだ。
新浜: えっとね……、あれは、小学校 1年生くらいだったと思うんですよ……、まだ野球やる前ですね。なんか、(父の)コンサートに出してくれて歌ったのと、『マツケンサンバ』は、あれは、小学校 3〜4年くらいのときで、もう野球やってて丸坊主のときです……(笑)。『マツケンサンバ』は、当時、学校の体育祭とかで踊ってたんですよ。それで、一緒にステージでやったんです。
ーー 中学でも野球を続け、高校は、千葉県八千代市にあるプロテスタント系の「千葉英和高等学校」に進学した。野球部では、キャッチャーでキャプテンを務め、千葉県でベスト 4 にまで行ったが、目指していた甲子園には行くことができなかった。甲子園を目指すくらいだから、当時は、音楽などあまり聴く時間もなかっただろう。
新浜: う〜ん、まあ、でも父親の曲を聴いてました。父の曲ばっかり聴いてたと思いますね。
6 大学に通いながらテレビ番組のアシスタント出演 〜「まあ、どっかにはあったのかもしれないですね…」〜
ーー 最後の夏の大会が終わり、野球部を引退した時、プロ野球選手になることも諦めた。
新浜: え〜っと……、高校野球を引退して、まあ、そのへん、高校 3年の夏くらいですかね。まあ、その、現実というか、自分の実力では甲子園にも行けなかったんで、現実を見て……。そっから、夏休みとか、父親の手伝いをしたんですよ。
ーー 高校 3年の夏休みから、演歌歌手である父親の鞄持ちをはじめた。
新浜: で、そのときに、今までは、野球やってるときは、輝かしい父親の姿しか見てなかったんですけど……、人前で歌ってる姿しか……。で、兄弟も姉と弟がいて、歌ってるだけで養ってくれてる父の仕事っていうことが、変な話、軽かったんですよ。「歌だけで育ててくれるって、そんないい仕事ないな」っていう感覚だったんですけど、でも、手伝ってたら、今まで知らなかったその苦労とか、やっぱり近づけば近づくほど見えてきて……。でも、それをも超えて、やっぱ父親を尊敬してて「父のようになりたい」って思ったのが、高校野球を引退して秋ぐらいからですかね。そのときに、思いっきり「父のようになりたい」って思いました。
新浜: それまでは、「歌手になりたい」って思ったことはなかったんですけど……、まあ、どっかにはあったのかもしれないですね。
ーー その後、父のように、演歌・歌謡曲の歌手になりたいと家族の前で宣言したが、母親には大反対された。父親の苦労をずっと見てきたから、「同じ苦労をすることはない」ということだった。そうして、母から進学を勧められたため、指定校推薦で「大東文化大学」国際関係学部 国際関係学科に入った。大学に入ってからも、父親の手伝いは続けた。
新浜: そうですね、鞄持ちと運転手と。
ーー 歌のレッスンにも通い始めた。
新浜: はい、してました。あと、父のステージで、父の曲のバックコーラスをバンドの皆さんと一緒にやったりとか……、で、のちに、父のショーの前歌(前座)で歌わせてもらったりとかもしてましたね。
新浜: あと、地元の「千葉テレビ」の『Jソングアワー ~あの人の歌が聞こえる~』っていう番組で、アシスタントもやらせてもらってました。その時間も長くて……、丸 3年くらいですかね。あの番組に、父が何度か出るうちに、「家族トーク」みたいな企画があって、それに一緒に出たときに、「息子さん、今度 MC で使いたい」みたいなことで声をかけてくださったんです。
新浜: で、その番組にアシスタントで出るようになったんですけど、そこで初めて、父以外の演歌歌謡の先輩を間近で見たっていうあの時間も大きかったです。そんときに、僕の中で一番印象的だったのが、あの『Jソング』(『Jソングアワー ~あの人の歌が聞こえる~』)に 美川憲一 さんが来られたんすよ(2016年)。そのときの……、やっぱ、なんだろう……、「スター!」っていうか「芸能人って、こういうことなんだな」って思いましたね。
新浜: 当時、『吾妻橋で待つ女』(2015年)っていう曲を 美川(憲一)さんが歌われてて、それをカメラの奥から見てて、「絶対、デビューして、いつか 美川憲一 さんと共演するんだ!」って思ったのを今でも覚えてます。
新浜: そして、昨年(2023年)、『NHK のど自慢』で、北海道根室で一緒だったんです(2023年 9月24日 放送)。そのときに、美川(憲一)さんに伝えたら、その当時のことをちらっと覚えててくださって、もうあれは感動しましたね。
ーー 現在も、「千葉テレビ」(チバテレ)では、新浜レオン の冠番組が放送されている。デビューしてすぐの 2019年5月から『はじめまして!僕、新浜レオンです!!』としてスタートし、2021年4月からは番組名が『ドシラソファミレオン♪』に変わり、現在、「ミヤギテレビ」「琉球朝日放送」「青森テレビ」「三重テレビ」「KBS京都」「札幌テレビ」でも放送されている。昨年、2023年12月には、その自身の番組『ドシラソファミレオン♪』に 美川憲一 がゲスト出演し、思い出の曲、美川憲一 の『吾妻橋で待つ女』を 新浜レオン が歌った。
ーー 2017年、大学 3年生のときには、大学で行われた「ミスター大東コンテスト2017」に出場し、自己 PR コーナーでは、大学生ばかりの観客の中、『青春時代』(森田公一とトップギャラン)を歌い、会場内を握手をしながら練り歩いた結果、グランプリに選ばれた。そもそも、なぜ、このコンテストに出たのだろう?
新浜: はい、これはですね、また重なっちゃうんですけど、「若い世代にも演歌歌謡を伝えたい」って思っていた中で、大学に行くことで、すごくね、両親にも迷惑かけてて……、「なにか大学の中で爪痕を残したい」って思ったんです。
新浜: で、当時、別に自分の容姿がいいとは思ってなかったんですけど、何より歌を歌えるチャンスが、これに出ればあるってことがわかったので……、自己 PR コーナーで歌えるし、ましてや、審査員、そしてお客さんは全員学生ですから、「こんなありがたい環境ないな」と思って出たのがきっかけです。
ーー その時の大学生たちの反応を見たことで、「歌手になって、若い世代に向けても演歌歌謡曲の素晴らしさを伝えていきたい」という意識がより強くなったのだろう。
7 デモテープをきっかけに、1年足らずで歌手デビュー 〜「本当に奇跡だと思ってますね…」〜
ーー 歌手になるべく、大学 3年生のころからは、レコード会社やプロダクションにデモテープを送るようになった。そんな中、ある知り合いから、現在所属する「Being」を紹介され、デモテープを聴いてもらうことができた。「ZARD」、「B'z」、「WANDS」、「DEEN」、「T-BOLAN」、大黒摩季、倉木麻衣 …… らで知られる音楽プロダクションとレコード会社が一体となったグループ会社だが、これまで、演歌・歌謡曲系の歌手が所属していたことはない。
新浜: え〜っと……、その時のデモテープには、北山たけし さんの『津軽おとこ節』、山内惠介 さん『ちょっと、せつないな』、そして、尾崎 豊 さんの『OH MY LITTLE GIRL』、このへんを、まず入れたのかな。
新浜: もう、北山(たけし)さんの「男!」っていうか、ガッツリ演歌の節のあるのと、はたまた 山内(惠介)さんの「♪ねえ ねえ どうしたの」「ケイちゃ〜ん!」みたいなああいうのと、まあ、「B ZONE」「Being」に送るんだから、「もう 1曲、なにかポップスよりのもの」って考えて、『OH MY LITTLE GIRL』を選んで送りましたね。
ーー それがきっかけで、大学を卒業して約 2か月目の令和初日、2019年5月1日、22歳の時に、新浜レオン として歌手デビューした。「Being」が、新浜レオン のために新しく作った演歌・歌謡曲の新レーベル「海峡レコード」からのデビューだった。
新浜: そうです。2018年(大学 4年生)の 6月に、初めて(「Being」を)紹介してもらって、そっから面接していただいたり、デモを聴いていただいたりして、いろいろあって……。で、痩せた(ダイエットした)んですよ。10キロに痩せて、トータル 20キロぐらい痩せて……、ていう部分では、初めて(「Being」と)会ってデビューするまで約 1年か……。
ーー デビューまで 1年というのは、極めて早い。
新浜: そうですね〜。でも、僕の中では演歌歌謡しかなかったので、この「Being」を紹介してもらって、「いや、演歌歌謡の先輩、誰もいないよな……」って思いましたし、ましてや、「B'z」さんとか、そっち方面なので、「大丈夫かな……」って、最初は思ってました。まあ、でも、紹介していただいて、デモを聴いていただいて、まさかまさかのこういう形でデビューできたので、本当に奇跡だと思ってますね。
ーー 演歌歌手の父も嬉しかっただろう。
新浜: いや、ビックリしてました。「まさか、Being から!」って……(笑)。
新浜: でも、あの……、まあ、父親は思いっきり演歌なんで、もうその「Being」系の歌手の人とかそんなに詳しいわけではなかったですし……。あれは、いつだったかな……、大学時代、大学 4年の秋ぐらいに、倉木麻衣 さんの「国際フォーラム」のコンサートを見させてもらったんですけど、もうそれまでは、演歌歌謡のコンサートしか、僕、見たことなかったんですよ。
新浜: 初めて、ポップス系の倉木(麻衣)さんのコンサートを見たときに、もう照明から演出から、バンドの音とかも、「見たことないな、この世界」って思って……。いきなり LED のパネルの中から出てくるみたいな、「こんな世界があったんだ!」っていうのを、その大学 4年の秋に感じて、その日に真っ先に父親に電話したのを今でも覚えてて、「父さん! すごいところからデビューできるかもしれない!」って言って……(笑)。
新浜: で、そのとき、思ったのが、やっぱり、そういう演出の中で演歌歌謡を歌ったら、「その融合が、ものすごく新しい 新浜レオン になるんじゃないかな」っていう未来をものすごく感じたんです。それこそ、若い世代とかも……、演出もそうだし、照明とかバンドもそう、あとは衣装とかそういったものも、若い人が見ても、なんて言うんだろう……、「普通な感じ」っていうか、「でも、歌ってる曲は演歌歌謡」みたいなのが、なんかすごく僕としては……、夢を追った瞬間でした。
8 実際は "演歌歌手" ではなく "歌謡曲の歌手" 〜「"父のおかげで今がある" と思ってるんで…」〜
ーー 新浜レオン の場合、「演歌 第七世代」というくくりで紹介されることも少なくないが、正確には、「演歌歌手」ではない。これまで発売されたシングル曲は、デビュー曲の『離さない 離さない』(2019年)をはじめ、『君を求めて』(2020年)、『ダメ ダメ…』(2021年)、『さよならを決めたのなら』(2021年)、『ジェラシー 〜運命にKissをしよう〜』(2022年)、『捕まえて、今夜。』(2022年)、『どんなに愛したとしても』(2023年)と、いずれも、さわやかなポップスや歌謡曲と言われるような曲ばかりで、いわゆる演歌と呼べるような楽曲は 1曲もない。『さよならを決めたのなら』のようなシティポップみたいな曲もある。「演歌歌手」と言われることに、違和感はないのだろうか?
新浜: いや……、正直、あるんですよ。ものすごくあって……、で、僕も「演歌」と言われたら、「いや、歌謡曲」って……。でも、なんか、結構、見出しとかでも、「演歌歌手の新浜レオン」って出ることも結構多いんです。
ーー たしかに、メディア的にはキャッチーかも知れないが、でも、誤解を与える。西城秀樹 をはじめ、1970年代や1980年代の歌謡曲歌手の雰囲気を持ち、「日本の大事なポップス系歌謡曲を歌い継ぐスター歌手」というイメージだ。まさに、木梨憲武 が付けたキャッチコピー「帰ってきた!スター系歌謡ロック!」がしっくりくる。だから、「演歌・歌謡曲」というのはまだいいが、「演歌歌手」と言われてしまうと、違う気がする。
新浜: あるんですよね〜……。でも、どうしても、なんかやっぱ、演歌と歌謡曲って……、なんか、ないんでしょうね、あんまり言い方がね。それは、正直、僕の中でも、違和感があって、なので、もし(事前に原稿の)確認ができるときは、もし「演歌歌手」になってたら、必ず、「演歌歌謡歌手」とか「歌謡曲歌手」みたいなテイストにしてもらってます。
ーー わかりにくくはなるが、ただ単に「歌手」でもいい。
新浜: そうなんですよね。やっぱり、そこをもう、取り払えるぐらい、新浜レオン がもっともっと大きくなって、ジャンルを超えていきたいなって思いますね。それこそ、やっぱり、「演歌歌謡歌手だと出られないんです」っていう番組とか、現実として、この 5年間であったりもしたんで、なんかそういうところの扉を開ける存在にやっぱりなりたいなって思いますね。
ーー 今後、やりたいことを聞いた。
新浜: そうですね……、まあ、やっぱり、とは言え、演歌・歌謡曲が、僕は心から大好きだし、「父のおかげで今がある」と思ってるんで、「そこの軸は絶対にぶらさずに」なんですけど、それこそ、雑誌もテレビも、「演歌歌謡曲で初」みたいな、「今までやったことないです」みたいな、たとえば、今で言う「サンリオ」さんとの取り組みとか(「ハローキティ」で世界的に知られる「サンリオ」が、新浜レオン をモデルにしたキャラクター「れおすけ」を制作している)、全然、想像できないような挑戦をしていく 新浜レオン でありたいですし……。
新浜: でも、やっぱり、目標とするのは同じ……、みんな思うし、みんな言うと思うんすけど、野球やってるときは甲子園、その甲子園をやっぱり歌い手になった今も作りたくて、その歌手としての僕の甲子園は、やっぱり紅白だと思ってるんですよ。
新浜: あとは、昨年、初めて俳優としてもやらせてもらって『下剋上球児』に出たり、あとは、木梨(憲武)さんとのご縁も 所(ジョージ)さんとのご縁もあったりするんで、バラエティーとかも、あくまで「歌手の軸足で」ですけどね、やっぱり 新浜レオン を知ってもらうことのきっかけとして大切だと思うんで、そのへんのチャレンジを忘れずに、今年を走っていきたいですね。
新浜: そして、ゆくゆくは……、僕は、二つ、コンサートの中での目標があって、ひとつは「千葉マリン」(「ZOZO マリンスタジアム」)で……、僕、「千葉マリン」で、最後、野球の大会負けたんですよ、そこで涙を飲んだんで、そのリベンジの気持ちを込めて、「マリンスタジアム」(「ZOZO マリンスタジアム」)での単独のコンサート、そして、行けなかった「甲子園」、関西はこの「甲子園(球場)」で僕の単独のコンサートをやるという、これが目標ですね。
ーー 単独での「ZOZO マリンスタジアム」と「甲子園球場」でのスタジアム・コンサートが目標ということだ。今の人気ぶりを見ていると、実現はそんなに先のことではないと思う。
ーー ちなみに、日本で初めてスタジアム・コンサートを行ったのは「ザ・タイガース」だが(1968年、後楽園球場)、ソロ歌手としての単独公演は 西城秀樹 が初だった(1974年、大阪球場)。その後も、大阪球場で 10年連続、後楽園球場でも 1978年以降 4年連続でコンサートを開催している。
(取材日:2024年 3月13日 / 取材・文:西山 寧)
■ インタビュー記事 関連動画
■ 新浜レオン シングル ディスコグラフィ